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2020年04月26日00:27

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会話で正しく伝える

私はASDを自称する程度(先日読んだ本では特定の症状がみられない場合にASDと分離して「社会性コミュニケーション障害(SCD)」とする動きがあるそうで、そちらのほうが適切かも)に、言葉を文字通りに解釈しがちで、「定義が不明確だ」と発言の意味を問い直したりするくらいで、自分自身は文脈から意味を特定するのが苦手なはずではあるものの、自分がしばしば、文脈で特定しないとわからない発言をしていることに気づかされました。

状況としては、会話をしている人がいて、その人たちの話題について私が口を挟む形で「これも考えに入れて決めてくれ」と言うようなことを言って、きょとんとされた、と言う流れです。私としては、自分たちがしている話に関連する情報を提供されて、今している話と何の矛盾もなく取り込める情報であれば、理解できると期待していたし、その流れで言えば「意味の決定に必要な情報」はすべて入っているはずだったのに、理解できないというのがよくわからなかったのですが、おそらく、その人は「発言する人」と「発する言葉」をセットで意味付けすることで、かえって混乱したのではないかと思います。

私にとって、言葉は言葉で、言葉としてつながっていれば何の矛盾もなくすんなり思考に組み込まれますが、一般的には発言は「言った人」とセットで解釈されるべきであり、同じことでも誰が言うかによって、正しいと判断すべきか、誤りと判断すべきかを変えるべきで、それができないと「社会性がない」と判断されることになります。したがって、文脈以上にその人にとって私の発言は「優先して聞くべき内容ではない」と判断していただけかもしれませんけれど、「今、〇〇について話していたんでしょ?」と聞くと、「そのことですか」と理解してもらえたようなので、おそらく、話の断片しか聞いていないはずの私が文脈を前提にした発言をしたことが意外だったのだと思われます。

考えてみれば、社会的な文脈という広い範囲の文脈まで考慮しようと思えば、今、自分がしている話と言う狭い文脈についての考慮はある程度犠牲になってしまいます。社会的文脈、常識的意味付けと言う広範囲の判断が得意な人は、よほどの能力がないと狭い範囲の文脈に期待した発言の解釈はよほど能力が高くないと難しいのかもしれません。まあ、会話のスピードでそこまで考えて発言するのはそれもまた難易度の高いことで、私がそういうタイプの人と会話ができるのは、日常的で解釈の相違がでにくい話題に限られてしまいそうです。
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