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2020年04月11日22:14

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緑の指

私の母は園芸が好きで、体を悪くするまでは花や植木をいろいろ育てていましたが、父が退職して家庭菜園や庭仕事をするようになると、父が手を入れたほうが育ちがいいとぶつぶつ言うようになりました。父は農家の生まれで、子供の頃からいろいろ手伝わされていて、やはり植物が元気になるコツのようなものを身に付けているのだろうとも言っていました。

好きこそものの上手なれ、と言う言葉があるものの、やはり環境と言うものは大事で、学ぶ機会がないことは知りようがありません。考えてみると、園芸と言うのは、きれいに見せるという目的があって、その範囲で植物を育てるので、品種の違い以外にも「どんな状態の植物を見ているか」と言う範囲にも違いがあり、農業のほうが広い範囲を見ることができるのではないかと言う気がします。もちろん、子供の頃に感覚を養ったほうが身につくと言うこともあるでしょうし、そうなると、都市部で育った母は不利に違いありません。

例え環境が整っていても、一定の才能、つまり、学習を成立させるために必要な思考形態や観察力がなければ知識や技術を習得することはできないのでしょうけれど、一般論で言えば、人が蓄積してきた技術や知識ならば、だいたいの人は習得できるはずで、なかには能力の欠如した人がいて、いわゆる学習障害に当たるのでしょう。とはいえ、農業が主要産業だった時代ならともかく、現代で植物の育成が苦手でも、「あんまり好きじゃない」「得意じゃない」で済む話で、そんなことで(なかには真剣に悩む人がいるかもしれないにしろ)学習障害の診断を受けることはないでしょう。

世の中には、学ぶ機会などなかったはずのことを苦も無く習得してしまう人がいて、私が最も驚いたのは、考古学者の子供で、小さい頃からマヤの遺跡に出入りしていたら、解読不可能とされていたマヤ語が読めるようになってしまい、そのまま考古学者になったという人の話です。もちろん、普通には検証の仕様がないことではあり、その読み方で書いてあることに矛盾が生じないので正しいのだろうとされているだけと言えばそれまでですが、同じ人類で思考パターンがシンクロする、と言うことはいかにもありそうで、むしろ自然科学の分野で思考パターンが自然現象とシンクロするように数式を組み立てられる方が奇跡的なのかもしれません。
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