木林神社
https://goo.gl/maps/LycDBXoX9bUutsSo7
【御祭神】天照大御神 豊受大神
創立年は不詳、『美濃国神名帳』(天慶(938)〜 天徳(956)の頃撰)に名木林明神と名が残っていることから、千年以上前から公的に認められていたという歴史を持つ古社です。
昔は長良川堤防上東海道新幹線付近にありましたが、河川改修事業でこの地に遷りました。
「なぎはや」とは波打ち際を意味し、かってこの辺りまで海岸線が浸食していた事が推察されます。
ここも元伊勢の伝承がありますが、個人的には伊勢に渡る船待ちとして一時置かれ事からだと推測します
森部古戦場跡
https://goo.gl/maps/t3KPY77wCmrEh8Hu5
森部の戦いは斎藤義龍公病死後、美濃侵攻をした織田軍を迎え撃った斎藤軍が森部の地で激突。結果、斎藤軍が多く討取られ、織田軍勝利に終わった。
前田利家公出世の松
信長公に仕えていた利家はこの合戦の2年前に信長公の同朋衆「拾阿弥(異母弟)」と喧嘩になり斬り殺してしまい、出仕停止の処分を受けます。
利家は戦の度、無断出撃を繰り返し、敵の首を取りますが中々許されませんでした
しかし森部の戦いで「首取り足立」と呼ばれていた足立六兵衛を討ち取り、信長に首級を差し出したところ、「この猛将を討ち取るは城一国の価値あり」として帰参を赦されます
首実験の際、利家公が鎧を掛けたと伝えられている松が昭和三十年頃まで残っていたそうですが、残念ながら枯れてしまったようです
今ある松は大河ドラマ利家とまつを記念して植林された松です。
森部城跡
https://goo.gl/maps/ywyJn3kPxd4jqGYf9
永禄4年(1561年)森部合戦で織田信長に味方して手柄を立てた河村久五郎の屋敷といわれています。看板のみで遺構等は残っていません
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