笑いは普遍的ではないから、当然、面白くない話もありますが、
よく考えてみると、面白くない話というのは、三層あることがわかります。
1 万人がおもしろくないと思うもの。
2 相手を笑わせようという気持ちが仇になるもの。
3 必ず相手が笑うはずだ、自分はウィットに富んでいて素晴らしい人柄だと思い込んでいるもの。
ところが、1に引っかかるからそれだけで面白くない…という話は、ほぼ、ありません。
ないと言ってもいいでしょう。
たとえば、昭和天皇のアメリカでのロックフェラー氏との次のような会話があります。
ロックフェラー�契ぁ屬Δ舛龍箙圓療豕�支店が皇居の近くにありますので、ぜひお立ち寄りください」
昭和天皇「預けにですか?それとも借りにですか?」
これでも、ジョークになってしまったそうです。
2、3に引っかからないことこそ、重要です。
昭和天皇は、何しろ神さま。「俺って、ユーモアのセンスがある、何という素晴らしい男だろうか」などと微塵も思う必要はありません。
転じて、これは全てに当てはまります。
たとえば、勉強。
1’ 万人がためにならないと思うもの。
2’ 相手の教養を高めようという気持ちが仇になるもの。
3’ 必ず相手が感心するはずだ、自分は教養に富んでいて学生のことを考える素晴らしい人柄だと思い込んでいるもの。
こう当てはめれば、なぜ、教養課程の教員の話がつまらないかわかります。
ここが、笑いよりも一段と厳しいところですが、
1は、実はほとんどの講義に当てはまります。学生の誤解にせよ、ほとんどの講義は、「本に書いてあるから、後で本を読めばいい」と学生に思われてしまうからです。
だから、1をクリアーすること自体が、非常に難しいものです。
たとえ、1をクリアーしても、人間には反感があり、2’ 3’に引っかかるからです。
思うに、相手を人格的に尊重すれば、2’ 3’という気持ちは、出てきません。
じゃあ、お前はそれほど素晴らしいのか…と言われれば、それまでです。
向こうから、教えて欲しいというような、気持ちを起させなければ、教育は零点です。
(だからこそ、私が素晴らしいと思う人は、自分のコアな専門の話しかしません。それ以外のことは、自分でも大したことがないと、見切っているからです。)
■「面白くない話」集めるマニア 「笑わせよう」が空振りする瞬間 「話を聞く側にも、笑いの自由を」
(ウィズニュース - 02月06日 07:00)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=220&from=diary&id=5963016
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