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2020年01月23日05:32

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日本軍の軍人魂が発揮された瞬間


大東亜戦争を指導した将軍や幕僚をきびしく批判した書物が多々出版されており、大東亜戦争が愚かしい戦争だったかというと、決してそんなことはないと考えています。大東亜戦争はワシントン体制という米国中心の不公正な世界秩序に対する、やむにやまれぬ異議申し立てであったし、世界に誇るに足るいくつもの戦いぶりを発揮しています。

そのひとつが昭和十六年(一九四一) 十二月八日に始まる緒戦の大展開です。緒戦の勝利では真珠湾攻撃とマレー沖海戦がクローズアップされていますが、この二つの作戦と並行してフィリピン、蘭印の制圧を目ざした南方作戦が進められ、いずれも短期間で快勝しています。

このフィリピン、蘭印作戦を中央に、右翼には香港、シンガポール、ラングーン、マンダレーを攻略する大陸沿いの作戦があり、左翼にはグアム島、ウェーク島から南にラバウル、ラエ·サラモア、北にキスカ島、アッツ島を攻略する島伝いの作戦があります。開戦以来たった六ヵ月でこれだけの大作戦を展開し、これだけの地域を勢力圏に収めた例は世界の戦史でも珍しい事でしょう。

大東亜戦争では愚将、弱将について書かれることは多いのですが、勇将、猛将についてはなぜか遠慮がちにしか書かれていません。勇将、猛将はそんなに払底していたのでしょうか。それならなぜ緒戦にみられるような大作戦が粛々と展開できたのか、不思議です。

たとえば硫黄島で玉砕し、「敵指揮官中、もっとも勇猛」と米海兵隊司令官スミス中将にいわせた栗林忠道中将はどうだろう。大本営の玉砕の要請に対して「ソノ期至ラバ、在島将兵全員喜ンデ一丸トナッテ死地ニツキ、魂魄ハ永ク祖国ヲ守ルモノト信ズ」と返電し、見事に散ったアッツ島の山崎保代大佐はどうだろう。

「将兵に対し人として堪え得る限度を遥かに超越せる克難敢闘を要求致候」と遺書に書き、戦犯収容所で自決した東部ニューギニア戦線の第十八軍司令官安達二十三中将はどうだろう。第五航空艦隊司令長官として沖縄特攻作戦の指揮をとり、八月十五日、最後の特攻として自ら飛び立った宇垣纏中将はどうだろう。

ミッドウェー海戦で脱出のチャンスがありながら、空母「飛龍」の艦長とともに潔く散った山口多聞中将はどうだろう。勇将、猛将、そしてそれらの将軍の下で勇敢に戦い抜いた将兵の物語は、このように数限りなく続いているのです。

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