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2020年01月12日16:42

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市川紀行9 市川市東山魁夷記念館 / 美濃輪遺跡

 4日土曜日は法華経寺に参拝した後、西北に向かい、市川市東山魁夷記念館を訪れました。
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 https://www.google.co.jp/maps/@35.7229296,139.946371,17z?hl=ja

 20世紀を代表する日本画家である東山魁夷(ヒガシヤマカイイ;1908〜99)は横浜で生まれ、神戸で育ちましたが、昭和20(1945)年の終戦以後は市川市で暮らし、「私の戦後の代表作は、すべて市川の水で描かれています」と述べています。
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 そこで、魁夷の死後6年目に当たる平成17(2005)年に「人間・東山魁夷」をコンセプトとして、資料展示と作品展示を通して業績を顕彰し、情報を発信する施設として市川市東山魁夷記念館がオープンしたのです。
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 記念館は、魁夷が昭和8(1933)年から二年間に亙って留学し、芸術の方向性に大きな影響を与えたドイツ風の外観を持つ建物となっています。魁夷が留学した年はヒトラー内閣成立の年ですから、ドイツは色々な意味で刺激に満ちた世界だったでしょうね。
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 入館料は520円です。
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 通常展「欧州への思慕 −憧憬と郷愁の国・ドイツー」が行われていました。魁夷は昭和37(1962)年にデンマーク・スウェーデン・ノルウェー・フィンランドの北欧四ヶ国を巡っていますが、第二の故郷とするドイツに思いを巡らせ、還暦を迎えた昭和44(1969)年にはドイツ・オーストリアの旅を行っています。
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 1969年の作品《晩鐘》です。
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 1972年の作品《白馬の森》です。
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 1992年の作品《白樺の丘》です。
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 続いて、記念館の北方にある美濃輪台(ミノワダイ)遺跡B地点〔市川市指定史跡〕へ向かいました。
 https://www.google.co.jp/maps/@35.7281117,139.9535593,17z?hl=ja
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 美濃輪台遺跡は、市川市では数少ない縄文時代早期の遺跡で、A地点・B地点の2つの調査地点のうち、A地点には貝塚があり、発見された土器は茅山上層(カヤマジョウソウ)式等の縄文時代早期末葉の物でした。B地点には貝塚は無く、土器は縄文時代早期中葉から前期初頭までの長い時間に亙る物でした。
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 注目すべきは、両地点から炉穴(ファイアーピット)が発見された事です。炉穴とは屋外で火を使って調理するために作られた施設で、地面を浅く楕円形に堀り、中に入って火を使います。住居以外に、こうした専用台所とも言える炉が作られた理由は不明ですが、縄文時代早期末葉の遺跡には良く見られます。
 遺跡の年代を炭素年代測定で科学的に測ったところ、A地点のサンプルでは7200±110年B.C.との結果でした。なお、A地点は土砂採取のため崩壊し、現在はB地点だけが公園として保存されています。
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《続く》
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