ここしばらく、
1 人形をアップする人がいるが、呪いの心情は、酷い仕打ちを受けたなど理由があるとは限らないものではないか。
2 正気でありながら、都合がいいように物事を受け取る、認知の歪みがある人がいるのではないか。
等について書いていました。なんか、共通する重大なことがあるのではないか…と思っていましたが、昨日、友人と飲んでハッキリとわかりました。
それについて述べたいと思います。
…年末に、別件の相談を受けました。
離婚の相談です。旦那がほとんど接触のない妻の親戚を貶したり、自分の結婚式のときの妻の親族の滞欧をいつまでも恨んでいたり…と、よく事情が分かりませんが、どうにもならないから離婚したいと。
弁護士を紹介して依頼を果たしましたが、
話をきいているうちに、
ア その旦那は、威張りたくて仕方がない人だ。
イ しかし、威張れるようなネタがないから、荒れる。
という精神構造ではないか…と思いました。つまり、威張りたいという感情が全てであり、威張る理由は口実だと。
呪いのマグマを持っているひとも、 、自分は悪くなく人が悪いと思い込んでいる人も同じです。感情が全て。その感情に屁理屈をつけていくだけです。
どうしてそうなったかというと、親などから、最初に自己肯定を教わったからでしょう。
自己肯定を教わること自体はいいとしても、現実は厳しいものです。学校に上がれば、成績が悪いから劣等生にもなり、かけっこもビリで虚弱児のレッテルを貼られるかもしれません。
だから、自己防衛のために、何が何でも他人が悪い…ということになったのではないでしょうか。
市川一家四人殺人事件というのがあります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%82%E5%B7%9D%E4%B8%80%E5%AE%B64%E4%BA%BA%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6
この事件も、
当時19歳の関光彦(死刑執行済み)という犯人が、「自分は死刑にならない」と確信し、弁護士にお前は死刑だと警告されても信じずに、少年院を出所した後のために、学習参考書を母親に差し入れさせています。
関は自己否定することを教わらずに育ったと考えられます。
こういう事例を考えると、
子どもの個性を認める(という名のもとに) → 子どもを自己肯定させる
というのは、問題です。子育てに無反省に適用すると、大失敗すると恐れもあります。
こういうのが増えている背景には、
一つには、学校の権威が下がっているという理由もあります。
学校の先生のいうことは聞かなくてもいい…という風潮になっています。
確かに、学校の先生がまちがったことを言うことは、非常に多いです。
しかし、たいていの子どもは、先生がまちがっていることを聞かないというより、
自分が聞きたくないこと、都合が悪いことを聞かないのではないでしょうか。
先生「計算間違いをするな」
生徒「創造性が大切だ」
などです。
その逃げ道がないのは、ピアノや絵などの習い事です。
自分が間違えたら間違える。下手なら下手なモノしかできないという自業自得の世界があるだけですから。
習い事の衰弱が、今日の事態を招いているのかもしれません。
この年になってわかったことがあります。
「オレは甘くない」などと言って、鳶の親方のようにぷりぷり威張っているヤツは、(ぼくが知る限り、)例外なく、ダメだということです。
若いころは、こういうこわもてするヤツが幅を利かせるかもしれません。しかし、ある程度になると、人は離れます。確実に。場合によっては、嘲笑されるでしょう。
人間は、感情を抑制することが第一に必要だということです。
抑制するべき感情の代表が、自己肯定の感情です。
話ができる人、内容がある人は、例外なく柔らかい物腰です。
自己否定の経験がある人からしか、標準以上の人間は生まれません。
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