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2019年12月28日23:25

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横暴な進歩

パワハラ(セクハラ、いじめ、差別)かどうかの境界がどこなのか、と言う記事を折に触れて見かけます。私も日記でちょくちょく取り上げている話題で、そこでは常に「受ける側が判断基準」と書いていて、しかしながら、境界を決めたい人は基本的に「する側」ですから、話がかみ合うわけがありません。ただ、法律や社会的制裁の基準はと言えば、受ける側が「パワハラを受けた」と主張したからと言って、必ずしも「パワハラがあった」と認めるとは限らず、結局のところ、「その場の雰囲気」と言っても過言ではなく、それが故に、学校や会社などの閉鎖的関係の中で被害者が過酷な状況に置かれることもまま発生します。

パワハラに関して言えば、社会的に高く評価される人に求められる基準、もしくは、その人の方法論を過度な一般化によって、地位や能力にかかわらず求めようとすることで起こることが多いと感じています。一時期、一世を風靡した「プロジェクトX」を見て、部下に「こういう仕事をしなければ」と説教した上司が巷にあふれましたが、いいものを真似すればいい結果が出ると言う短絡的発想で、これがまかり通るのがパワハラです。まあ、短絡的でも誰も文句を言えないのが権力ですから、それを受けた人が暴力と感じればまさしくパワハラです。

先日読んだコラムでは、コンサルやらについて「同じ要求をされてもパワハラと言われないのは、彼らが法外な報酬を得ているからだ」と書いていました。また、役者や芸人など、法外な報酬を得られるようになる「可能性」で酷使されている人もいますが、自分の可能性を信じているから続けているわけですし、アニメーターのように本当に「好き」でやりがいを搾取されている人も、ある程度は「自分の判断」でその状況を選んでいると言えますが、バイトで入った飲食店や、一般企業で同じことをされたらたまったものではありません。

リーディング企業が高いレベルの仕事をしてベンチマークとして設定され、ライバル企業が追随して社会の水準が上がってゆくと言うのは、悪いことではありません。しかし、それを現場任せで工数がどんどん膨らむに任せて「とにかく追いつけ」「金も出さない(=設備も更新されない)、他人も増やさないが、同じレベルのことをしろ」で済ませるのは経営の方法のひとつではあっても(優秀な人がいれば成立するかもしれない)、優れたやり方でもないし、褒められたものでもありません。まあ、なんだかんだ言いつつ、そうやって栄枯盛衰を繰り返して進歩してきた部分もありますから、ある程度は容認すべきなのかもしれません。とはいえ、せっかく進歩したのであれば、古臭い「不快な思いをする人が多数発生する」やり方を改善する方法も取り入れたいものです。まあ、パワハラが話題になるようになったと言うのがその動きということですよね。
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