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2019年12月20日23:25

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理不尽なことばかりの世の中だから

私はもともと「わがままで自分勝手」と言われて育ったため、そう言われないように他者の権利について敏感で、しかも、周りと価値観が大抵ずれているため、さらに侵害しないための配慮を過剰にしがちです。世の中には、自分のしたいようにして周りから反対されることなどなく育つ人もいて、そういう人は他者の権利など気にすることもなさそうで、ひょっとするとどんな風に育っても他者の権利など気にしなかったのかもしれませんが、ともかく、実際に配慮に欠ける人はちょくちょく見かけます。

最近は、いじめにしろ、性犯罪にしろ、「被害者は悪くない」と強調する風潮があり、それはもちろん事実で、それまでの「被害にあっても仕方ない」系の主張が普通に受け入れられているほうが問題であるものの、悪くないからと言って被害にあわないで済む、と言うわけにいかないのもまた事実です。防ぐ方法があるとなれば、それをしないほうが悪いということにつながってしまうのが怖いところで、「防犯をしなければ犯罪に合うような世の中はおかしい」と、防犯を一切しないと言うのがデモンストレーションとしては成り立つにしても、他の方法で被害を防ぐことができないにもかかわらず、防犯なしを実践して被害にあった場合に「防犯をしていれば」と言いたくなるのは仕方のないことに思えます。

仕方ないからと言って、正しいかどうかは別問題ですし、もう一つ問題なのは、被害者が悪くないからと言って、加害者が悪いと言って済ませていればよいのかどうかです。これも結局は、「加害者が悪いと言っていれば犯罪は防げるのか」と言う話で、もちろん、悪意を持ってやったことであれば悪意を持たなければ防げるでしょうけれど、冒頭で書いたような「意識がない」「無頓着」と言った原因で他者の権利を侵害している場合に、そこに悪意があるとは限りません。結果論で「被害が出ることをしたのだから、悪意があるに決まっている」と、被害の発生を悪意の定義にしてしまえばことは簡単ですが、結果管理で状況を変えられるはずがありません。

理不尽な状況と言うのは、被害者側にも加害者側にも存在し、それが「加害者のくせに被害者面をする」と言う状況にもつながるものの、認識の仕方を変えれば、そうなる場合もままあります。それがまずいのは、そういう認識を続けていると再発防止できないと言う事実があるからで、社会を良くするため(つまりは、自分が住みよい環境を整える)に必要なことをやろう、と言う意識が必要なのだと思います。
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