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2019年12月15日13:31

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ADHD? その2

以前の「ADHD?」の日記で下記のように書いたが、

>仕事を先延ばしする心理は、自分に厳しすぎて完璧主義だからとか言うけど、たぶん
>準備不足かつ、ストレスでワーキングメモリ枯渇の相乗作用ではないだろうか。

俺ってもしかしてADHDなんじゃないか?
医師が開設しているADHDチェックリストを見ると、オイラはかなりハイスコアだった。
一回お医者さん行ってみた方がいいのかな

オイラは仕事を先延ばしする傾向がある。
そのことの理由を冒頭で引用したように以前の日記では考えていた
オイラは準備不足とストレスがたまった状態で完成度の高いことをやろうとすると、時間がかかってしまい、自分のセルフチェックをパスする完成度に達っするまでに時間がかかってしまい、結果として仕事の所要時間がかかってしまうということはオイラがよくやらかすことだ。

しかし、別の視点に気づいた。
ルーチンワークやエスカレーション先が存在するオペレーションワークの場合には起きないことだが、クリエイティブな要素があってだれにも聞けないレアケースな問題の解決の場合は、自分の頭を使って、情報収集や試行錯誤をしないと答えや答えの候補を見つけ出せない作業の場合、「テキトー」以外の解決をしようとすると、「だれか」の見積もり以上に所要時間がかかってしまうことがよくあった。
そしてその問題解決がうまくいった場合、過去の多くのケースで「だれか」は、事前に想定すらしていなかった問題点にオイラが着目していてその問題点を含めたトータルな成功パターンをオイラは模索していたケースが少なからずあった。
(仕事や人生をある程度経験したので上記のケースが少なからずあったことがはじめてわかった)

つまりほかの「だれか」には見えていなかった地雷の埋まってそうな予感をオイラは感じていてそれの確認や調査とほかのすべての地雷がなさそうだということの確信をオイラはつかもうと独自に近い視点で動いていたというケースが少なからずあった。

ほかの「だれか」とは驚くべきことにオイラ以外の少数にとどまらず、数十人からなるプロ集団の中の「俺以外のすべて」だったケースも少なからずあった。
つまり、オイラ以外だれも気にしてなかった問題の芽を俺一人が察知してて、オイラ一人が足を止めて調べようとしていたために、オイラ一人が一番出遅れてしまっていたというケースが少なからずあった。

言い訳かもしれないが、オイラが本腰で取り組んだ分野では、オイラのセンサーが周りのほとんどの人よりも鋭敏に研ぎ澄まされて、「自称いしばしを叩いて渡る派」な人すらも事前に気づかなかったことをしかも多数嗅ぎ出していたようだ。

そしてこのようなオイラの「日常的な経験」は「今の状態のオイラ自身」すらもまだ詰めが甘いのではないか?という推測を叩き出し、結果もう少し調べてから本当に誰にも気づいてない問題点がまだ残されていないという確証をひとりで探し出そうとする動機をオイラの心理に浮かび上がらせているように思われる。

そしておいらの経験と自己分析から、このような局面の打開策として、目の前の作業を一旦寝かせておいて、別の作業を並行で着手するという戦略をとっているようだ。

ストレスと複雑さを飼いならすためにオイラが自分で考え出した「作業の保留」の効果としては、互いに関連しあっている(かもしれない)別の作業を進める過程で保留中の作業を紐とく手がかりに出会える可能性があると経験的に感じていることと、文字通り一晩寝て翌日起きたら、昨日はひらめかなかったことが嘘のようにひらめいて電光石火で気づくことが経験的に何度も(多分毎回)あったのでこのような「作業の保留」を問題解決のためのオイラの戦略に取り入れているのではないかと自己分析する。

言い訳かもしれないが

やっぱし一回精神科に行ってみようかな

お医者さんはこのようなオイラの「独善」あるいは「実際によく経験するオイラの特性」を鑑みてもオイラをただの病人と診断するのだろうか?

上記のオイラの経験は何も特別な「天才」特有の経験だとは思わない。
オイラの場合は、実際の仕事や多少複雑な創意工夫を私生活でしてきた数十年にわたる実際の経験にもとづいて「やはり仕事が遅れる」ことのメカニズムを自己分析したが、

人生経験が未熟な若年者の場合でも、難関校(中学、高校、大学)の受験問題に取り組んでいたら、実際の仕事や人生ではめったにお目にかからないようなレアケースな例外が原因の知恵の輪のように要素が組み付いた問題を解くことを競わされる。
もし、受験問題のような知恵の輪を実際の問題に転用して考えてみようとしたら、一見何の問題もないように見える事象でも、落ち着いて眺めてみたら一見しただけでは気づかなかったようなメカニズムが「隠されている」のではないかという予感を芽生えさせないのだろうか?
人生経験が未熟な若年者でADHDの診断をされた人がいたとしたら、彼らは、長年の人生経験を積んでない分、お医者さんのまえで自分の思考傾向を経験を踏まえて説明できないと思う。

精神科医も若年時には厳しい競争試験を経験しているはずで、「例外中の例外的な問題解決のパターン」や「常識にとらわれた浅はかな判断とは逆の正解」を嫌って言うほど扱わされたはずだと思うのに、オペレーターやルーチンワークだけを得意として、常識的な判断や例外を排除した判断だけで、人生や仕事をすいすい泳いでいる「石橋を叩いて渡る常識人」から外れた「アマノジャク」をADHDと診断してしまえるのだろうか?
それとも、難関校の試験問題は、人生や仕事とは完全に切り離されたただのパズルの中の仮想現実でしかないという割り切りがうまかったのか

すごいお医者さんが多いと思うけど、精神科にもヤブ医者っているのかな

















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