mixiユーザー(id:33120836)

2019年12月10日23:46

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説明と事実

私は基本的に議論が好きなのだと思うものの、世の「議論好き」と言われる人の多くとは好きな議論の形と言うか、好ましいと思う側面が異なるように思います。議論好きの代表的なパターンは「人を言い負かすのが好き」なだけであって、私も傍から見ると「何を言っても反論してくる」と言うことで、言い負かされるのが嫌いなのだと思われているようです。また、単に言葉遊びで話を混ぜ返すのが好きで、これも結局相手の言い分をまともに聞かないという意味では「言い負かすのが好き」と似ているものの、相手より自分が正しいと主張しないという違いがあります。これは、私もときどきやってしまうパターンで、個人的には様々な発想をするための練習と言うか、半分習慣化している思考が外に漏れているようなもので、相手にとっては迷惑かもしれません。

私が本当に好きな議論は、様々な可能性の中からよりもっともらしい見解を導き出すための議論です。なので、自分の意見に対して反論されるのは新しい見解の発見としてとてもうれしいのですが、反証済みの指摘を何度も繰り返すとか、指摘が具体的でなかったり(なんかおかしい、そんなこと信じられない、など)するとつまらなく感じて、その議論に対する興味がなくなります。

反論が具体的でないと、それ以上議論が進まないのであまり歓迎はできませんが、具体的な反論ができないこと自体は、その反論が間違っているという証拠にはなりません。事実は事実であって、それをうまく説明できない人がいるからと言って、そこにある現象やその背景の理論が間違っているとは限りません。説明できないことでも、それが事実と感じるのであれば、自分が説明できるようになるまで、もしくは説明できる人を捕まえられるまで信じ続ければよいのです。もしくは、否定する説明が正しいと判断された場合はそれを受け入れることになりますが、合理的に主張を否定されるまでは、疑わずに信じ続ければよいのかと思います。
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