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2019年09月16日17:30

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前橋東照宮

前橋東照宮https://goo.gl/maps/B8YEBHrFTwvAFpnw9
【主祭神】東照大権現(徳川家康公)
【合祀神】木花咲耶姫·菅原道真·長壁姫(おさかべひめ)
 寛永元年(1624年)、結城秀康公の五男である松平直基公(結城松平家、松平大和守家)により、最初の領地であった越前勝山 で創建された。以後同家の転封に合わせ転居されてきた。
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社務所では宝物が公開されていて、天下三槍の一つ御手杵(おてぎね)の復元品が展示されています
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長壁姫は姫路城がある山(姫山)に住む妖怪·狐とも云われており、様々な神威·怪異を起こしています。
 
 寛延2年(1749)松平朝矩(なおのり)公が姫路藩から前橋藩に国替えとなった際、姫路城天守から前橋城内未申の方角(裏鬼門)に祭られましたが、天守に祭られなかった事に怒り、利根川を氾濫させたと云われています。これにより松平朝矩公は前橋から川越に移転を余儀なくされました。
 更に長壁姫は公の夢枕に立ち、社も川越に移すよう訴えたが前橋城を守らなかったと、前橋に社を置いたまま川越へ移転しまう。朝矩公は移転後間もなく31歳の若さで急死、これは長壁姫の祟りと云われているげっそりその後川越藩では借財が増え、前橋では生糸の輸出で栄えた。
 前橋城が取り壊された後、明治政府の命で前橋東照宮本殿に祭られる事となり、それ以後利根川の氾濫は収まったという・・・

 昭和20年8月5日、米軍の前橋空襲により街は殆ど焦土と化したのですが、長壁様の鎮まる東照宮の社殿だけは火災を免れることができた。B29爆撃機12機による空襲により境内の茶店や社務所は焼失し、東照宮の社殿を囲う塀に燃え広がろうとした時、 提灯を持った十数名の兵隊が現れ、境内を流れる風呂川からバケツリレーをして消し止めた。 
 宮司がお礼を言おうとすると兵隊は忽然と消えてしまったそうです。そして持っていた提灯には「長壁大神」の文字があったと云われています目exclamation ×2

 平成10年9月ある民間企業が以前長壁様がお祀りされていた祠(前橋城の未申の地)を取得して開発しようとした時、利根川を増水させ河川敷に駐車していた車77台を押し流してしまいました冷や汗その後地元住民の説得もあって祠を取得した企業は祠には手を付けずにそのままにしているそうですほっとした顔
 
 平将門公よりも強い神威がありますねふらふらここでは社務所や境内もカメラに収めたはずなのですが、拝殿・本殿以外の写真は残っていませんでした・・・何故か分からない不思議な現象ですあせあせ(飛び散る汗) 

御朱印
 
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