『看聞日記』永享五年現代語訳、一太郎ファイルから出版社に送るワードファイルに変換し終わった。疲れた〜。
一四三三(永享五)年は伏見宮貞成のライバルである後小松上皇が死んで、彼にとってはターニングポイントの年。これで後花園天皇と伏見宮家が「天下謳歌」だとの噂が流れた。
そのせいか、この一年だけで14万字近くになる。ずいぶんと貞成の思いの丈が詰まった年のようだ。
これからは足利義教と後花園天皇(貞成の実子)との公武協調路線政治だろうが、それ以上に義教の専制君主的性格が露わになってくる。
現代語訳の作業としては大きな峠を越えたのかもしれない。
明日は早く起きて米沢行きだけど、なんとか一区切りできてうれしいな。
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