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2019年08月26日00:17

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【映画】『よこがお』些細な悪意の恐怖

監督の深田晃司は、何と言っても『淵に立つ』が素晴らしかったが、本作は筒井真理子と再びタッグを組むということで期待していた。結果は、その期待をも上回る衝撃的な傑作に。私は『淵に立つ』にも増して本作が好きだ。
黒沢清直系と言うか典型的な映画美学校モードと言うか、そのいかにも「映画的」な演出は多くのシネフィルから絶賛されるだろうが、私はそれ以上に脚本の巧さに舌を巻いた。2つの時制を秘かに交錯させ、「何かが狂っている」と感じさせる気持ち悪さは秀逸だ。
 
内容は、黒沢清やミヒャエル・ハネケ、古くはアンリ・ジョルジュ・クルーゾーやフリッツ・ラングなどに連なる「悪意系」あるいは「オブセッション系」とでも言うべき濃密な心理サスペンス。なぜ主人公が今のような状況に陥ったのかを少しずつ明かしていく語り口が、憎らしいほどに巧い。
ただそこで評価が分かれることも予想できる。『淵に立つ』に存在した悪意や強迫観念は、正体がつかみにくいものだ。結局のところ何があったのか、浅野忠信は何を考えていて何をやったのかは、最後まで明白にならない。それが、底知れぬ不気味さと怖さを醸しだしている。一方本作は、明確な説明こそないものの、誰がどのような動機でどのような行動をし、その結果 何が起きたのかはほぼ明白だ。つまり『淵に立つ』に比べると非常に分かりやすい。ストーリーだけで言えば、小池真理子の小説のようだ。だから『淵に立つ』の得体の知れない不条理さが失われたと嘆く人もいるかもしれない。一方『淵に立つ』では曖昧でつかみ所のなかった悪意や疑惑が、より明確な形を取ったことで、リアルな怖ろしさを感じると言う人もいるだろう。私は後者だ。
 
特に、副主人公と言える人物の悪意が、どのような環境で形成され、どのようにして最悪の形で発露されてしまったのかが手に取るように分かるため、見ていてゾクゾクする。しかも主人公はそれを分かっておらず、観客だけが理解している構図が実にスリリングだ。見終わってまず私の脳裏に浮かんだのは「英語でよく聞くon the edgeって表現は、こういう感覚を指しているんだろうな」というものだった。常に刃の上を歩いているような登場人物たち。それがほんのちょっとした心の動きや外的な衝撃で、最悪の方向に滑り落ちていく怖さ…
ここまで極端な状況ではなくても、ほんのちょっとした苛立ちや精神的な不安定さが、相手にとって最悪の結果をもたらす構図は、極めてリアルだ。その動機の些細さと結果の大きさが、不条理なまでに乖離している。前に上げた黒沢清やハネケとの違いは、本作で描かれた悪意や過ちのほとんどが、本当にちょっとしたものだという点だ。怪物の心に巣くう巨大な悪意でなく、誰の心にも潜むわずかな嫉妬や憎しみ、それが簡単に人の人生を破滅させてしまうからこそ怖いのだ。
 
主演の筒井真理子の魅力は驚異的だ。『淵に立つ』も素晴らしかったが、本作はそれをはるかに上回る。天使の繊細さと悪魔の大胆さを兼ね備え、映画史に残ると言っても過言ではない名演を見せている。
そもそも彼女は、『淵に立つ』以前は、そんなに有名な女優ではなかったはずだ。元は第三舞台の出身だが、決して看板女優というわけではなかったようだし、テレビや映画にも多数出ているものの、ほとんどは地味な脇役らしく、私は以前の彼女を全く思い出すことが出来ない。それが五十代半ばになって突如ブレイク。しかも母親役などではなく、濃厚に「女」を感じさせる役ばかりだ。そんな女優人生もあるのかと驚かされる。間もなく59歳という年齢で大胆なヌードまで見せてしまう点まで含め、私は彼女を「日本のシャーロット・ランプリング」と呼びたい。 
 
 
https://yokogao-movie.jp
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