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2019年08月16日05:45

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東亜連盟誌の復刻1

石原莞爾平和思想研究会の顧問であった武田邦太郎先生は「東亜連盟」を広めなさいと私に言っていた。武田邦太郎と言う方は、武田平和研究所の代表であり、武田新農政研究所の所長です。赤木宗徳農林大臣顧問や田中角栄内閣日本列島改造問題懇談会委員などを歴任した衆議院委員・外務委員会委員・沖縄および北方領土に関する特別委員会委員です。

1996年、石原莞爾先生の指導された東亜連盟運動の機関紙「東亜連盟」誌の創刊号から最終刊号まで全68冊が17巻の書物として柏書房から復刻、公刊されました。解説者は駒澤大学教授、小林英夫氏です。東亜連盟運動は大東亜戦争期に石原先生がその全身をもって歴史に刻まれた事蹟です。

それは単なる過去の歴史的事実でなく、混乱を極める現代および近未来における東亜諸国のあり方、ひいては世界のあり方に高き歴史的指標を提示するものと思われます。ここに特に乞うて掲載していただく小文は、「東亜連盟」誌が復刻、公刊されたとき、武田先生が刊行会代表として第17巻の末尾に付した文章です。

いま石原平和思想運動が主として若い世代に引き継がれて新展開を志向するに当たり、石原先生の思想とその歴史的事蹟に対し、特段の理解の深められるよう熱願してやまないものです。「東亜連盟」誌の創刊号(昭和14年10月刊)から最終刊号(20年10月)まで全68冊が復刻、公刊されました。

東亜連盟誌は石原莞爾先生が指導された東亜連盟運動の機関誌です。創刊された昭和14年10月、石原先生は舞鶴要塞司令官であり、先生は表立って運動を指導される立場ではありませんでした。先生が運動に打ち込まれたのは、昭和16年3月、第十六師団長(京都)を最後に現役を去り、6月、東亜連盟協会(木村武雄代表)顧問となった時です。

9月、郷里の山形県鶴岡市に帰られてからです。初期のころ、東亜連盟運動はこの運動の趣旨に賛成する政治家、社会運動家、学者等を主体とする運動でありましたが、石原先生が直接、運動を指導されるようになってから、運動は東亜連盟思想による国民運動、国民組織運動になりました。

即ち、中国に対する侵略戦争、朝鮮に対する植民地政策にピリオドを打ち、満州国の植民地化に反対して、民族協和の東亜連盟の結成をめざす内外一途の革新運動として、やがて政治運動に展開すべき性格を内包することとなりました。それが「東亜連盟」誌の内容に際立った変化をもたらしています。

東亜連盟結成に関する諸政策が整備され、これを実現する主体となるべき同志組織が整備されたならば、東亜連盟運動は思想運動、国民運動から政治運動へ飛躍、展開することが期待されたのです。大東亜戦争争末期には、日本国内でも、朝鮮、満州国、中国でも、同志は東亜連盟運動が1日も早く政権獲得に向って前進すべきとする熱願に燃え立った。

東亜連盟運動は、日本史上極めて運命的な大東亜戦争期に、石原先生がその全身をもって歴史に刻まれた事蹟であり、先生の生涯においても満州事変、満州建国と並び、或いはそれ以上に重要な意義をもつ歴史的事蹟です。それは過去の事実であるよりも、より多く、今後の東亜諸国のあり方、ひいては世界のあり方に高き歴史的指標を提示したのです。

いま東亜諸国はもちろん、世界の国際政治は空前の激動期、混乱期にありますが、この時期に「東亜連盟」誌全巻が復刻、公刊されることの意義はまことに深甚でした。復刻の議が起こるや、東亜連盟運動の後を継ぐ、石原莞爾平和思想研究会(渡辺正会長)の運営委員会におはかりしたところ、1人の反対もなく賛成されました。

「東亜連盟」誌に寄稿された人々は、石原先生はもちろん、多くの人々があの苛烈な軍閥政府の弾圧下に、筆を曲げることなく所信を吐露されました。それだけに論者1人1人、それぞれの段階で非妥協的論説を展開された結果、石原先生の経綸に必ずしも完全には一致しない主張も絶無ではないのです。

しかしそのような主張を表明された方がたも、時が経つにつれ、究極において石原先生の説かれるところに推服されています。「東亜連盟」誌の復刻は、東亜連盟運動における同志間、指導者間の思想的統一と高まりが運動の進展とともに前進していることを証明するでしょう。復刻に当たりそのことを一言しておいてはどうかと言う意見が出ました。

その意見を言ったのは大山倍達氏に極真空手を教えた曹寧柱氏です。あの東亜連盟運動の受難期に、寸毫も節を曲げることなく、二年余の投獄、拷問を経験されたのです。いま曹寧柱先輩の助言に接し、心からな敬意と感謝をささげずにはいられません。曹寧柱先輩は石原莞爾平和思想研究会の顧問であり、武田邦太郎先生も顧問です。

年会費の納入のお願い「SNS」
 この度は、新年度号148号に振込用紙を同封しなかったことを心からお詫び申し上げます。石原莞爾平和思想研究会として平成元年から、発行してきた会報誌・「永久平和」も、会員減や会費未納による収入減少のため、一時は終刊せざるを得ない状態になりましたが、すべてを完全ボランティアとして、「緊急カンパ」のご寄付でなんとか凌いでおります。
会員の多くは東亜連盟運動に関わってきた60代でした。そのため社会の第一線は退いたものの、まだまだ血気盛んな錚々たる方々が数多くいらっしゃいました。当会は石原莞爾の名を冠してはおりますが、石原莞爾顕彰会と連絡を密にして、石原莞爾の意を汲んで過去の真実の歴史を未来の子どもたちに引き継いでいくと同時に如何にして民族協和と平和を実現するかに取り組んでまいりました。
その一方で発足後四半世紀が経過し、発足時の植田前会長や会員の多くが逝去されたり、高齢のため活動ができなくなってまいりました。会費を払って会報「永久平和」を購読されている会員が激減しているのが現状です。
そんな中、SNS会員から会報購読の正会員を増やすため懸命に努力しています。また、それに加えて製紙メーカー各社の原燃料ならびに物流費の上昇などがあり、印刷代や送料などの支払いを会費だけでは賄えないのが現状です。
そのため、同志の皆様におかれましては今年度の会費の納入を賜りたく、149号にこのチラシと振込用紙を同封させて頂いた次第でございます。
石原莞爾と東亜連盟の志を後世に継承させるためにも、これからの若者を支援し且つ育成したいと心から願っております。
そのためにも何卒ご浄財を賜ればと存じますので、何卒よろしくお願い申し上げます。
石原莞爾平和思想研究会 会長 仲條拓躬 


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