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2024年05月19日08:02

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チベットとダマイ・ラマ


第二次世界大戦が終わり、世界各地の植民地は次々と独立をしました。ところが1949年の中華人民共和国の成立で、時代の流れとは逆に植民地化されてしまったのが、現代チベットの悲劇の始まりです。

中国人民解放軍のチベット侵攻は、中国にいわせれば、世界中で最後に残った政教一致の封建国家からの解放だと数十万人に及ぶチベット人の虐殺や徹底的な宗教弾圧が行われました。チベット人は、チベット自治区のほか4つの小さな自治区に住んでいますが、約束されていた通りの自治ではないのです。

チベットには、政治・民族・宗教問題があります。ここ数十年は、とくに人権問題としても、世界的に注目されています。注目のきっかけは、1989年にダライ・ラマ14世がノーベル平和賞を受賞したことにあります。

1959年以来、インドに亡命中のダライ・ラマは、欧米諸国に向けてチベットの窮状を訴え続けることで、国際社会を味方につけたのです。受賞後、知名度があがったダライ・ラマですが、ダマイ・ラマとは名前ではなくチベット仏教ゲルク派の法王の称号です。

ダライ・ラマという語は「活仏」といい菩薩の化身として説明されることが多いのですが、ダライ・ラマ14世は「私自身は1個の人間に過ぎず、たまたま仏教徒たらんとする一チベット人」だと自伝に記しており、自ら精神的指導者を任じてはいるものの、菩薩の生まれ変わりだとはいっていません。

長年の制度としては、ダライ・ラマの死後は転生者を探し出して跡継ぎすることになっているようです。チベットに仏教が根付いたのは7世紀から11世紀にかけてのことです。古くから伝わる民間信仰ボン教と共存しながら、チベット仏教はチベット人の精神社会をひとつにまとめあげてきたそうです。

とくに16世紀後半は中国清朝の後ろ盾もあって、満州、モンゴル、シベリアなど、広大な地域にチベット仏教が広がって行きました。チベットが継承し発展させてきたのは中国仏教ではなくインド伝来の仏教でしたが、チベット仏教圏が拡大した頃、本家インドでは仏教を信じるものいなくなり、チベット人は、チベットこそインド仏教の正統の後継者で、その首都ラサはまさしく仏教の中心地であると自負するようになったのです。

チベット人の民族意識がチベット仏教にあるのだから、中国共産党の宗教弾圧がどれほどの抵抗を引き起こしたかは想像できるでしょう。ダライ・ラマの亡命のきっかけとなったラサ民衆蜂起をはじめ、チベット人は度々戦いを挑み、大量の犠牲者を出しています。

ダライ・ラマがインドで樹立したチベット亡命政府は、戦いによる犠牲者や獄死者、処刑者、それに餓死者まで含めて、チベットの全人口の600万のうちの5分の1が死んだと報告されています。中国側がこの数字とかけ離れた嘘の数字を発表しているのはいうまでもないでしょう。

中国共産党はチベットを「神聖にして不可分な領土の一部」だという。これは台湾に対する認識とよく似ているが、中国共産党のチベット政策は、台湾に対してよりはるかに遠慮がありません。チベット側によれば、チベットの言語、宗教、伝統、習俗などがことごとく否定、弾圧の対象とされるばかりか、中絶や避妊手術まで強制されているというのです。

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