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2019年08月04日06:56

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戦国時代の好きな武将

戦国時代に生きた好きな歴史上の人物と言えば、色々いますが、その中でもしぼって、日本史で言えば、織田信長・上杉謙信・武田信玄かな。どの武将も甲乙付け難いのですが、歴史上成功したと言えば、織田信長です。織田信長という人物は、日本国が生んだ、世界レベルでも超一流政治家であり軍事家でしょう。

うつけものと言われ跡目相続でも外されそうになっていたのにも拘らず、尾張をわずかな期間で、統一して、経済的にも軍事的にも抜本的な改革を行い成功しました。土地から兵士を引き離し専業兵士による軍団の編成。織田信長は斬新なシステムは回りの反対を押し切って実現し、その正しさを勝利という結果で証明していきました。

例えば有名な武田騎馬隊を打ち破った長篠の戦いでの鉄砲の三段撃ちにしても、鉄砲先進国のヨーロッパでさえ、その戦法が生まれたのが織田信長死後数十年経ってのことなのです。織田信長の天才性がうかがわれるというものです。

織田信長は本能寺で明智光秀の裏切りにより不慮の死を遂げた訳ですが、もし信長が10年長く生きていたなら、間違いなく天下統一は行われていたでしょうし、そこで生まれた新政権というのは、貨幣経済と海外貿易を中心においた商業国家となり、さらに軍事的にもヨーロッパに負けないだけの組織を作り上げることが出来たと思います。

歴史に「もし」という言葉は無いわけですが、織田信長が天下統一とていたら、戦国の時代に、ヨーロッパ諸国と互角に渡り合える強い国家が生まれていたでしょう。日本人がこんなに対外的に弱い民族になってしまったのは、本能寺で織田信長が死んでしまったからだと言っても過言では無いと思います。

織田信長とは逆に嫌いなのは日本人に人気のある徳川家康です。東京で生まれで3代続いた江戸っ子だった私ですがあまり好きではありません。徳川家康が知略の武将と言えばそれまでですが、豊臣家を滅ぼしての天下の取り方が嫌いです。豊臣家が滅んでしまった一番の原因は、本来豊臣家を守るべき立場にいる武将達が内輪もめしたことが原因です。

その混乱に乗じて天下を取った家康は武将として当然のことを行なっただけでしょうが。徳川家康の嫌いな一番の原因は、徳川幕府の保守性と時代を逆流させた政策です。信長、秀吉が安土桃山文化に代表される、明るく豊かな時代が訪れかけたというのに、徳川幕府では再び元に戻してしまいました。さらにキリスト教の禁止を理由にした鎖国政策です。

技術や道具の改善改良を禁ずるという政策は、あまりにも愚かです。幕府の自己保身のために、全ての交流も変化も禁ずる政府です。その結果、幕末にペリーの黒船来襲の時、戦国以来の鎧や刀に火縄銃という装備で立ち向かう、という時代遅れを演じることになってしまったのです。

徳川幕府270年、国を閉ざしていた間に、欧米諸国は華々しい発展を遂げていたわけですが、その流れに取り残されたこの国の失敗が、今、なお尾を引いているのです。最後にこの国の歴史上、最も多くの階級を飛び越えて天下を取った人物が太閤秀吉です。

低い身分にいながら、出世を目指す者にとって太閤秀吉は英雄であり、昭和になっても「太閤」と呼ばれた政治家がいたりもするわけです。確かに秀吉は、信長配下の有能な武将として、また信長死後はその実質的後継者として、遂に天下統一を成し遂げるところまでは、英雄だと思いますがそこからがいけません。

養子秀次や千利休の切腹事件を続発、挙句の果ては朝鮮出兵という無謀な軍事行動まで起こすその晩年は、傍若無人な独裁者でしかありません。思うに秀吉は少し長く生き過ぎてしまったのではないでしょうか。もしくは、後継者がいなかったために、いつまでも権力の座に座り続けなければいけなかったことによる悲劇です。

その悲劇の舞台に立ったのは、秀吉自身ではなく、周りにいた人々だったのです。権力者の地位から引き際の悪さが、秀吉という人物の評価を落としてしまったような気がします。ちなみに来年の大河ドラマは明智光秀を描くと言います。

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