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2019年07月29日08:26

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『白い巨塔』は、なぜ、面白いか。特選

模試の締め切りがあります。

そこから逃亡して、昨日の昼は、田宮二郎版(79年版)の『白い巨塔』をみて、夕方、適当な理由を付けて寿司屋に行きました。

『白い巨塔』は、昨日、パクリの作家として紹介した、山崎豊子の作です。
あれがおもしろいのは、
1 欲望と陰謀の渦巻く「白い巨塔」と、浪速大学医学部教授財前五郎の、栄光と挫折。
というメインのストーリーの他に、
2 東佐枝子の里見脩二への片思い
3 財前と里見の友情
…
といった数々のミニュマムストーリーがあるというところです。「恋」や「友情」は、いかに、1のような世俗的な大きな物語と切り離せないか…を教えてくれます。
しかも、それぞれのミニュマムストーリーが、一応「AだからBである」という論理によって生成されますが、しかし、それ以上に大きいのは、他のミニュマムストーリーとのコントラストです。その段差により生成される狂わしい心情が、登場人物の人生を左右します。

一部、原作にはない部分を含みますが、
だからこそ、情況に翻弄された登場人物の何人かは、罰ともいえる針路を選びます。
偽証を恥じた柳原医師は、高知県の無医村に。
東佐枝子は、結核の撲滅のためにネパールで医業に身を捧げている、父の愛弟子の田代の後妻として、ネパールに。
しかも、この二人の愚かしさ(柳原は、大阪の大病院にいた方が患者のために医師として貢献できる。佐枝子は、医師としての正しさに惹かれただけで、一個の人間として田代に惹かれたわけではない…)が、
全編に再び反照されていきます。

エピソード的なものではなく、『白い巨塔』のような全編を通じたミニュマムストーリーが、いつ、どこで始まるか…

若いころに考えたことがありますが、日本は近代からです。世界文学では…結局、分かりませんでした。

しかし、日本の場合、近世(江戸時代)に萌芽があります。

『雨月物語』の背後には、修行僧の錫杖を衝く音が聞こえます。

愚かな登場人物の破滅の物語が、さまざまな形で続きますが、そこに、全編に反照される問題提起と不思議な癒しがあるのは、メインのストーリーが別にあるからです。

昔の修行僧は、『証道歌』を口ずさんで、諸国をさすらいました。

…不是標形 虛 事持。如來寶杖親蹤跡。不求真。不斷妄。了知二法空無相。
是、形を漂して空しく事持するにあらず。如来の宝杖、親しく蹤跡す。真を求めず、妄を断ぜず。了知す。二法空にして相なきを。
(鉢や錫杖はただ形式的に持っているのではない。仏祖が歩んだ古道を歩み実践するためである。私は真をも求めず、妄をも嫌わない。真や妄などの二項空なるもので姿が一定しないと悟っているからだ。)

『証道歌』のミニュマムストーリーとして、個々の『雨月物語』や『春雨物語』がある。
そう考えて、夏の怠惰な日常を反省して、論文書きに戻りたいと思います。

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