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2019年04月29日03:24

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ラィプニッツの研究

 自然は諸規則います。それは、微積分(diffrencel)で表現できます。こうしたことは、かなり頻繁に認められることです。それは、表現しての微積分が、世界を名辞するとともに、宗教を提示するからです。諸規則とは、微積分で表現できます。その代りに、すべての物が数学的諸対象として表現できます。
 どういうことかというと、全体集合は、世界(ユニテ)を表現し、補集合は、山、川、木などが表現され、部分集合は、鳥・人間・ネコ.....etcなどが表現されます。それを全部ひくるめて、すべてが数学的対象なのだから、それによって、世界合理性係数、または、世界微分牲と表現できます。これによって、すべてが、微積分と複素数よって、出来上がります。そして、数学的対象となったこれらのものは、機械となって、世界を表現します。ところで、機械学というとのは、すべての自然現象が数学的対象となることです。
 それによって、神(apuori)は創造主として、世界を創造し、これらの物たちは、機械学的に表現できます。すべては、マルブランシュの言う通り、世界を神の手に委ねることになります。これは、ライプニッツの哲学とさほど違いはありません。すべては神の栄光を表現し、神の可能的意志のもとで、最善利によって、bestの世界が表現されます。これが共可能的世界(compsibill)と表現され、すべてが数学的対象として、個体概念のもとで、series(事物系列)を表現します。それか雨、雲、も表現形態として、神の表現(rerecentia)として機能します。
 すべては、神の様態(modeification)とし表現できます。




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