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2019年03月30日14:15

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人体の神秘


私たちの人体の機能を深く観察するとき、それは単なる物質的機械で動いているものではなく神の生命で動いているのだということがわかる。食物として摂取したあらゆる成分を分解して、それを人体を構成する諸元素とし、それを一定の “人体” という目的の姿にまで排列したその叡智というものは決して物質そのものの力から出てくるものではないことは明らかである。

脳髄の霊妙きわまりなき機能を電子計算機にたとえて、それが機械的に反応して精神作用や反射機能がでてくるのだと、唯物論的に割り切ったものの考え方をする人もあるけれども、たといその脳髄の作用が機械的に電子計算機の作働の如くあらわれてくるにしても、それではその電子計算機はただ物質の部分品が勝手に集合してできたのであるかというと決してそうではないのである。あの物質のトランジスターやダイオードを組み合わせて作った電子計算機といえども、必ずそれを設計し工作した知性が電子計算機以前に存在して、その知性のはたらきによって発明し造られたのである。

ところが脳髄という電子計算機は、この小さな頭蓋骨の中に嵌め込まれている極めて小さな容積をもつ器官に過ぎないのに、その中には百五十億個以上もある脳髄細胞が秩序整然として排列され、物質機械の電子計算機ではできないところの自由意志的な新たなる発想や創作までも自由自在になし得るこのような精巧な器官を創作することは、知性のない物質分子や、物質分子の単なる集合体なる細胞たちの力だけで成し得るところではないのである。ここに脳髄が作られるまでに、脳髄さえも創作し創造した驚くべき知性が、この肉体の奥に物質の奥に存在することが判るのである。この肉体の奥に物質の奥に存在する霊妙きわまりなき叡智者こそ、神につくられたる“神の子”であり、私たち人間の実相であり、自己に宿る神なのである。

以上、谷口雅春「真理の吟唱」より。

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