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2019年04月02日12:44

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ギーター 2(感覚器官と心と英知)

バガヴァッド・ギーターには全部で700の詩句がありますが、長谷川澄夫訳「ギーター・サール(バガヴァッド・ギーターの神髄)」では、その中から150の詩句を集め、各題目につき別々の章から詩句を選び理解しやすいように配列しています。なお。長谷川澄夫訳のものはゴシック体で記入し、田中嫺玉訳「神の詩・バガヴァッド・ギーター」、向井田みお訳「やさしく学ぶYOGA哲学バガヴァッドギーター」は明朝体で併記します。

<2>感覚器官と心と英知
★ギーター/3-42
(長谷川訳)
物質的世界と肉体に感覚器官があり、感覚器官の上に心がある。心の上に叡智(ブッデイ)があり、そして叡智の上にあるのが、パラマートマー(神)がある。
(田中訳)
感覚はその対象より優れ、心は感覚より優れ、知性(ブッディ)は心より勝れている。だが、かれ(アートマン。真理。霊我。魂。事故の本体)は知性(ブッディ)より上位である。
(向井田)
感覚は肉体よりも微かで、全身に広がっている。感覚は肉体が届かないところも行き渡る。それゆえ、感覚は肉体より優れているといわれる。
その感覚より微かで、大きな広がりをもつのが心だ。
感覚の届かないところに、心は広がる。そして心より優れているのが知性である。心は迷い、ためらいもするが、知性は迷うことがない。感覚も心も知性の知性の内にある。知性まで『カ−マ(欲望)』の力は及んでいる。
そして知性より優れるのが『アートマン(真我、真実)』、本当の君自身だ。自分自身の真実は、知性でも、心でも、感覚でも肉体でもない。
それらを成り立たせていながらも、それれらから影響を受けることのない“存在”である。君自身の真実は限りなく、永遠で、どんな欲望からも自由である。

★ギーター/6-35
(長谷川訳)
アルジュナよ、人の心は決して落ち着かず、困難に支配されようとしている。しかしアビヤーサ(修習)とヴァイラーギヤ(離慾)によって、それを統御できるのだ。
(田中訳)
至上者(バガヴァーン)語る。「クンティーの息子、剛力無双の勇士よ。たえず動きさわぐ心を制御するのは、君の言う通りたしかに難しいが、不断の修練と離慾に可能だ。
(向井田)
クリシュナはいいました。
「アルジュナよ。全く君のいうとおり、心は動揺し、手の内に収めることはとても難しい。
しかし、ウンティの息子よ。
物事をありのままに、主観的な価値観を上乗せせずに客観的にとらえ、常に冷静であることを忘れずに、繰り返し物事の本質を見極める練習を瞑想ですることによって、いつか必ず君は心を手に収めることができる。

★ギーター/2-67
(長谷川訳)
快楽の方に向きつつある感覚器官の後に、心が惹かれる時、人の叡智は、水の上を行く小舟が風に翻弄されるように、たえず揺れ動き続ける。
(田中訳)
水の上を行く舟が、強い風に吹き流されるように、諸感覚のただ一つにさえ心ゆるしたなら、人の知性(ブッディ)は忽ち奪われてしまうのだ。
(向井田)
心は移り気で気まぐれな性質があるから、感覚は世界のいろいろなものに惹きつけられ、惑わされ、、本当に大切なことを簡単に見失ってしまう。ちょうそ水の上に浮かぶ船が風に揺り動かされ、もうk適地を見失ってしまうように。

★ギーター/2-64
(長谷川訳)
節度のある人は自分の感覚器官をしっかりと律し、そして愛欲に溺れたり、嫌悪を抱くことなく、感覚器官によって、それらの楽しみを享受する。それによって、汚れのない、至上の喜び(プラサダー)の境地を得る。
(田中訳)
解脱への正規の方法(みち)を修行し、感覚の統御に努力する人は、至上者(
かみ)の恩寵(めぐみ)をいただいて、あらゆる愛着と嫌悪から解放される。
(向井田)
人の心が何かに惹かれることから破壊するまでの原因に、『ラーガ・ドヴェーシャ(好き嫌い)』という思いがある。その思いを基準にしてはいけない。すべきことは正しいか? 正しくないのか? という『ダルマ(秩序)』を行いの基準にすれば、心は簡単に振り回されない。
感覚を意志の力で正しく使える人は、移り変わる世界をありのままに、自由に味わうことができる。
人の問題の根源にある“好き嫌い”を扱える人の心は穏やかである。

★ギーター/2-65

(長谷川訳)
清浄な喜びの境地(プラサダー)にある人は、すべての苦しみから解放される。そして、そんな喜びのある人の叡智も直ちに不動のものとなる。
(田中訳)
至上者(かみ)の恩寵(めぐみ)を得たとき、物質界の三重苦は消滅し、この幸福(さち)豊かな境地で、速やかに知性(ブッディ)は安定する。
(向井田)
心が落ち着いているとき、苦しみや悲しみはない。
静かに澄んだ心に自分自身の知識が定着する。この知識の理解が人の悲しみや苦しみを根源から断ち切ってしまうだろう。

★ギーター/6-26
(長谷川訳)
彼の落ち着かない、不安定な心が、此処彼処に揺れ動く時、そこから心を引き離し、それを統御して自己の支配下にみちびくべきである。
(田中訳)
心の性質は頼りがたく、揺らぎやすい。いつ、いかなることにも動き、彷徨(さまよ)う。修行者(ヨーギー)はこれを断固として引き戻し、真我の支配下におかなくてはいけない。
(向井田)
しかし心という道具は一つに定まらず、常に動き回る性質がある。
もし何かの理由で心が、瞑想から離れてしまうなら、その理由の本質でもある真実『アートマン(真我、真実)に心を連れ戻し、必ず心を自分の手の内に収めるようにしなさい。

★ギーター/6-25
(長谷川訳)
揺るがぬ叡智によって、人は心を次第次第に平静に導き、そして、心は魂に帰属して、何ものも思念してはならぬ。
(田中訳)
十分な確信をもって一歩また一歩と、知性(ブッディ)に導かれてサマーディの峯に登れ。そして心をただ一つの真我(アートマン)に固定し、ほかの一切を思うな、考えるな。
(向井田)

★ギーター/2-52
(長谷川訳)
お前の叡智が、迷妄の沼を超えることができれば、お前は、これまでいくらか聞いたこと、これから先聞くであろう、すべてのことに無関心でいられる。
(田中訳)
知性(ブッディ)が迷妄の密林から脱け出ると、今まで聞かされてきたことと、これから聞くであろうことの、全部(すべて)に超然として惑わされない。
(向井田)
アルジュナよ。
君が本当に何を求めるべきか? 生きる目的を知り、貫くためにはどうすればいか? それが解った時、君の迷いはなくなるだろう。
その時過去に聞いてきたことも、未来に聞くかもしれないも君を迷わせることはなくなるだろう。
君が求めるべきことは、君自身の真実である。




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