3年前の芥川賞受賞作品。大体の設定や主人公のキャラは知っていたので「そんなものが小説として面白くなるのか?」と疑問に思っていたのだが、読んでみれば、今の時代を象徴する見事な傑作だった。
前半は、自分が「世の中の基準から外れた変な人間」だということを理解している主人公の古倉が、コンビニ店員という仮面をまとうことで社会と折り合いを付けている姿が描かれる。これは「平成版『人間失格』」そのものだと思った。
ところが後半、少し違う形で社会不適合な人間が登場すると、古倉のような人間を異物として排除しようとする社会の欺瞞が露わになっていく。大部分がコンビニとアパートの中だけで完結する物語は、とても小さい。しかしそこに内包されたテーマは、巨大で本質的だ。
古倉という主人公に共感を抱くか否かが、この小説の評価の分かれ目となりそうだが、私に関して言えば答えは明白。「古倉は私だ」。そんな風に思わせるところも、『人間失格』を想起させる所以である。さすがにあそこまでの社会不適合ではないにせよ、それはカリカチュアの範囲。本質的には、私の半分くらいは古倉である。全く違う部分もあるが、この社会に対する違和感や疎外感は、とても他人事では無い。むしろ「他人から見た私」の方がより古倉に近いだろう。
この作品自体は、社会から異物視され、一般的な基準からすれば底辺に属する人間の話、しかし社会の一般的ルートからはずれた人間なら、何らかの形で「古倉は私だ」と言いたくなる普遍性があるはずだ。特に芸術などの方面で働いていて、この作品を他人事として眺められる人間はいないのでは。終盤の〈そのとき、私に「コンビニ」の声が流れこんできた〉という一文、そのような啓示は多くの人間が人生のどこかで経験していることではなかろうか。
また読んだタイミングも良かった。つい2日前に世田谷パブリックシアターのワークショップ発表会「家族をめぐるささやかな冒険」で、普通を押しつけられることの違和感を生々しい形で味わったばかり。描かれている内容は一見特殊だが、その内実は普遍的な人間の生き方の問題だ。
そんなわけで、最近読んだ現代の日本の小説では頭抜けて強い感銘を覚えた。もし映像化するなら、古倉役には、年齢がまだ若いのが難点だが門脇麦を推薦。
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