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2019年03月18日15:19

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【演劇】世田谷パブリックシアター 地域の物語ワークショップ2019 「家族をめぐるささやかな冒険」

世田谷パブリックシアター 地域の物語ワークショップ2019
「家族をめぐるささやかな冒険」
2019年3月17日(日) 15:00 シアタートラム
 
 
毎年ハイクオリティな作品を見せてくれる世田谷パブリックシアターのワークショップ発表会。私も2013年に一度だけ参加して、シアタートラムの舞台に立ったことがある。今年は「家族」がテーマで「家族のかたち」「家族とお金」の2チームでそれぞれにシーンを作り、さらにシンガポールのネセサリー・ステージもゲストとして参戦。それらを1つの作品にまとめたことで、2時間近い大作になった。
 
結論から言えば「おなかいっぱい」という感じ。参加者が30数名もいて、誰もが最低一度は見せ場となるシーンが設けられるため、エピソードの数もいつにないほど多い。上演時間が長くなるのも当然だ。しかも1つ1つのエピソードは極めて濃密。親子・夫婦・きょうだいの関係といったオーソドックスなものから、同性パートナーや独りで老いていくことの問題まで。生きていく上で、誰もが関わらないわけにはいかない問題がてんこ盛り。現代の日本において、「家族の問題」とは、いわゆるファミリードラマ的なものだけでなく、「どのような生き方を選択するのかという問題」に他ならないことが嫌でも明らかになる。
つまりこの作品で描かれた内容を他人事として捉えられる観客は、どこにもいないということ。これだけ様々な問題が様々な視点から提起されれば、誰でも作品のどこかに「自分が直面しているのと同じような問題」を〈複数〉見いだすことになる。
 
昨年までの数年間は「生と性」がテーマになっていたが、性的マイノリティの問題が半分くらいを占めていた。それはそれで重要な問題だが、自分自身がそこに属していないこともまた事実なので、問題との間に一定の距離を置くことが出来た。だが今年はそうはいかない。私はおそらく、もう数年すれば独りになり、独りで老い、独りで死んでいくことだろうが、そうなった経緯や、どうすれば「そうではない人生」ありえたのかなどに思いを馳せずにはいられない。
 
そんなわけで、リアルな問題を突きつけられる発表会だったのだが、実は構成に大きな不満もある。それはこれまで言ったことの裏返し。あまりにもシリアスで身につまされる問題が矢継ぎ早に繰り出されるため、途中で消化不良を起こしてしまうのだ。表現は軽妙でユーモアに満ちているが、描かれる問題は極めてシリアスなため、「ちょっと待て。俺は今のエピソードの問題についてもう少し考えたいんだ」と思っているのに、容赦なく次のエピソードが始まる。特にそう感じたのは、シーンリストで言うと10「ゲームと課金」から15「卒業」のあたり(シーンは全部で25)。あそこは個人的には極めてヘヴィーなテーマが幾つも描かれているため、とても消化しきれず、途中から脳にリミッターがかかってしまった。あの辺りは「そのエピソードを膨らませるだけで、軽く1時間の芝居ができるでしょう」と言いたくなるものが多数。それをああ矢継ぎ早にやられたのでは、トゥーマッチという感じで、少なくとも私は逆に心が離れてしまった。あそこは、途中にゲームやパフォーマンスなど箸休め的なものを入れて、オーバーヒート気味の脳を少し休ませる構成にすべきだったのではないか。
もちろんそれは表現される内容が濃密だったことの裏返しだし、このWSの形成過程を思えば、どうしても詰め込み型になってしまうのは理解できる。ただ純粋に1つの作品として見た時、もう少し観客に「考える隙間」を与える構成にして欲しかった。
 
出演者のおよそ7割は以前にも見たことがある顔で、毎年連続で出ている人もチラホラ。それだけに皆舞台上での演技は手慣れたもので、緊張したり慌てたりしているところはほとんど見られなかった。その意味でも「成熟した」という印象。周りの人が皆手慣れた感じ感じなので、今年初めて舞台に立つ人も、おそらく心強かったのではなかろうか。人数は多いが、見ていて出演者同士の「気」がしっかりと結ばれているのが見て取れた。それがシンガポールチームにまで及んでいるところも驚異的。
ただそれは参加者がある程度固定されていることに由来するものなので、良い面と悪い面の両方があるはず。悪い面をできるだけ抑え、良い面だけを活かすにはどうすればいいか、なかなか難しいところだろう。
 
ここ数年続いた「生と性」は一区切りついたものの、「家族」もそこからかなり地続きなテーマ。最近の流れを見ていると、来年も「家族」がテーマではと思うが、その次はまったく違うテーマにするのも良いのでは。もし家族をテーマにするとしても、人口の減少や経済の衰退などを視野に入れた上で、「20年後の新しい家像」に的を絞るのはどうだろうか。今回もチラリと出てきたが、そこをより社会的な背景まで入れて掘り下げる形で。今回はまったく触れられなかったが、今後は人口の減少に伴って「墓仕舞い」という問題があちこちで起きてくる(私の家も、せっかく江戸時代から十数代続いたのに、私で終わりになりそうで申し訳ない)。そうなると夫婦や親子といった単位だけでなく「先祖」「子孫」といったものの新しいあり方も問われてくるはずだ。公共劇場のWSとしてはなかなかいい狙い目だと思うのだが、どうだろう。
 
この発表会は、終演後の観客と出演者を交えたアフタートークまで含めて1つの作品だと思っているが、今年は観客・出演者を問わず、自己告白を含む非常に長い発言が多かったのが印象的だった。そりゃ、この内容だとそうなるでしょう。ちなみに私が何も発言しなかったのは、上に述べたように、考えるべきことが多すぎて、1つや2つの発言にまとめようがなかったため。それだけ、いつも以上にリアルな問題を突きつけられたということ。
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