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2019年03月18日15:17

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【演劇】木ノ下歌舞伎『摂州合邦辻』

木ノ下歌舞伎『摂州合邦辻』
2019年3月16日(土) 18:30 KAAT大スタジオ
 
 
噂通り「凄い」作品だった。FUKAIPRODUCE羽衣との共通点は意外なほど薄いし、木ノ下裕一+糸井幸之介の前作『心中天網島』ともかなり違う。良くも悪くも、糸井幸之介のこれまでの作品中 最も「芸術的」な舞台と言えそうだ。
 
だから最初の内は戸惑った。FUKAIPRODUCE羽衣は歌も踊りも精度より味や個性重視の「妙ージカル」だが、こちらは歌も踊りもはるかにカッチリした堂々たる「ミュージカル+歌舞伎」。しかしこれは私が知る従来の糸井作品とあまりにも違い過ぎる…と。その上、最初の歌「人の声」は、ストーリーと直接絡むような歌詞ではない。しかも歌詞がよく聞き取れない(後の方は聞き取れたので、あれは音響の調整が悪かったのでは)。さらに、時系列が分解されていることもあって、歌舞伎の言葉がいつにないほど理解できない。そんなわけで、歌と踊りが延々と続くものの、一体何をやっているのかよく分からず、最初の内はまるで作品に入り込めなかった。「皆絶賛しているが、これは少なくとも私には合わないわ…」と心が離れてしまった。
 
しかし次第に作品の構造が見えてきて、普通にストーリーが動き出すところから面白くなってくる。そして俊徳丸ではなく玉手の狂恋が話の中心に来るあたりから、全く別次元の凄みを帯び始める。
その最大の原動力となっていたのは、玉手役の内田慈だ。何だかんだで彼女の舞台は十数年前から見ているし、近年はスクリーンでもしばしば見かけるが、私が見た中では、本作こそが彼女のベストアクトだ。文句無しにそう断言できる。演技の傾向は、これまでに彼女が得意としてきたものと、あまり変わらない。しかし熱量とスケールが違いすぎる。時系列が目まぐるしく切り替わる中、童女から恋に狂う女へと瞬時に変貌する迫力には鳥肌が立つ思いだった。 
 
『摂州合邦辻』という外題は、タイトルこそ知っていたが、実際に歌舞伎や文楽で見たことがなく、ほとんど予備知識無しで臨んだため、玉手が真意を明かす、言わば謎解きシーンは「なるほど、そう来たか」と素直に感心した。しかし禁断の恋に狂う内田慈の演技があまりに真に迫っていたせいもあり、私には表面に描かれていない玉手の思いも感じられた。真意の告白自体は嘘ではないが、やはり彼女は心の底で俊徳丸を愛していたのではないか。それは通常ならば死ぬまで心に秘められるべき思いだ。しかしあのような状況に直面した時、玉手は自らの秘めたる思いを吐露することの快楽と引き換えに、自らの命を捧げる決心をしたのではないか。つまり玉手は「演技」を通じて自らの真情を告白し、しかも最後に「実はこの恋は演技であったと演技する」ことで、全てを丸く収めた…そんなメタ演劇的解釈をすると、より一層物語が深みを帯びる。
もちろん、その真相は作品に直接描かれているわけではない。かと言ってそれを否定する材料もない。最終的には見た者の解釈次第だ。そして内田慈の演技は「恋に狂う女の刹那的快楽」をあまりにもリアルに表現していたが故に、私はこの作品では、その解釈を採りたい。
 
作品の構造に戻ると、本作は時系列が大胆に交錯することもあって、至るところに様々な伏線が散りばめられている。しかし最初に述べた通り、前半は作品に入り込めなかったため、その辺の演出を十全には味わえなかった。この作品は、2回目の鑑賞の方が1回目より楽しめるように思える。その意味からも、再演を強く希望したい。
 
なお内田慈以外では、最初のうち全く目立たない西田夏奈子が、後半大きな役割を担うようになり、剛の内田慈に対する柔の役割を見事に果たしている。これまた彼女の演技歴の中でも特筆すべきものだった。
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