mixiユーザー(id:614168)

2019年03月08日13:47

248 view

ヨハネの福音書のイエス・キリストは労働組合の参考にならないというお話

聖書のヨハネによる福音書の中のエピソードだ。
姦通罪で捕らえられた女性をめぐって、イエス・キリストと律法学者たちが対決する場面がある。
ユダヤ教の律法では、姦通罪は石打ちの死刑にされることになっていた。
判断を求められたイエスさんは
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず石を投げなさい」と言った。
すると年長者から始まって一人また一人と立ち去ってしまい、誰も女に石を投げることができなかった。

誰でも罪を犯したことがある、罪を犯したことがない人間はいない。
だから自分の正しさを基準に他人を裁くことはできない。
というのが聖書の教えだ。

わたしがこれを最初に聞いたのは教会だった。
子供の頃だった。

なんだか変だぞ???と疑問に思った。
石を投げずに引き返したユダヤ人たちは頭の悪いやつらばかりだなあと。

だってそうでしょ、
「俺は生まれてから一度も罪を犯したことがない、だから石を投げるぞ」
と言い切っちゃえばそれまでだ。

そこでイエスさんが
「おまえはバカか。誰でも生きてれば罪を犯すだろ、お前だって罪を犯したことあるだろ!」
と言ったら

「うるせえな。証拠があるのかよ、いつどこで俺がどんな罪を犯したの?言ってみろよ。証明してみせろよキチガイ!」
と強く言い返せばよい。
自分だったらそうする。
安倍総理でも同じようにするだろう。


まあ聖書の言いたいことはわかる。
でも子供でもおかしいと思うような内容だ。
わたしはキリスト教はそれなりの宗教だと思うけど、このエピソードはデキが悪いと思う。


ということで、今日は夜から労働組合の用事がある。
ある企業と団体交渉で対決する。
パワハラ事例で行為があったかなかったかを争うことになる。
こういうときは多少事実関係に自信がなくても、強弁して相手をやり込めねばならない。
「パワハラされたんだよ、ごちゃごちゃ言っとらんと加害者本人を呼んでこいよ!」というふうに。

イエスさんと律法学者のようなのんびりアホくさいやりとりは現実には存在しないことがよくわかる。
5 12

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する