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2019年01月21日22:45

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【拳闘】メイウェザー×天心《四》ある男の功罪

天心は試合後
『体重差は向かい合ってみて判った。動くタイプの僕を潰しにきた。前へ前へ体格差を生かしてきた』とコメント。観戦した堀口恭二も
『凄い体重差が出た試合かなと思った。10kg差はでかいと思いました』と発言。
(最終的にはそんなに体重差があったということだろうか?)
『既に世界ランカークラスとも言われる優れたボクシング技術を持つ天才キックボクサーが、大人と子供の試合みたいにダウンを続ける残酷なKOショーになるのも無理はなかった。こういう事態を避ける為ボクシングには階級制度が導入されている』
記事(より抜粋)にもある様に、改めて『体重差』が浮き彫りになった訳だが、驚くのはこの試合の責任者と言うべき立場の、榊原信行実行委員長が会見で言い放った言葉だ。

『無謀と海外のメディアには酷評されるかもしれないが、新しい冒険に天心が踏み出してくれた。競技をやる気は全く無い。競技化していくとつまんないものになる。
天心もリスクをとった。全く安全性に意識が無い訳ではなく、無謀なチャレンジになるギリギリを攻めた。もっとオンスの大きいグローブをメイウェザーがはめるべきだったかとも思うが、こういう結果も含めて、リスクを恐れずチャレンジしたということ』

この人は、自分が何を言ってるのか解ってるのだろうか?特に『競技化するとつまらなくなる』の一言には開いた口が塞がらない。
『競技』とは、『両者の立場や条件をできるだけ公平とし、その上で優劣を競い合う』みたいな意味だと俺は解釈している。彼がどういう意味で『競技化』という言葉を使ったのかは解らないが、そういう方向に進むにつれ『つまらなくなる』と言い切ってる。
要するに『不公平だろうが何だろうが、面白くてインパクトのあるモノ』を目指してる様だ。つまり曙やボブ・サップみたいに身体ばかり大きくて見映えのする選手が暴れる、子供向けの怪獣映画みたいな代物を見せたいらしい。
俺には不公平な条件下で行う試合の勝ち負けに意味があるとは思えないし、曙×ボブ・サップなんてカードは到底『格闘技』と呼べるモノではない。単なる見せ物だ。
今回を含め、そんな試合をこれからも続けよう(目指そう)と彼が本気で考えているとしたら、現在日本最大級の格闘技大会の実行委員長という立場にいながら、格闘技のことが何も解って無い人物、ということになる。それに、モンスター路線に舵を切ってファンからソッポを向かれた、過去の失敗例から何も学べてない、ビジネスマンとしても残念な人、としか言い様が無い。
もしも解ってて言ってるのなら(多分そうだろうけど)、もはや引くに引けず無理矢理押し切ろうとしてる、ということか。それは結構だが、自分のワガママに、才能ある若者の未来を賭ける権利があるのだろうか。
それにしても、一体どの口が言ってるのかと呆れ返るばかりだ。殆ど全てのスポーツが競技化されてると言っていいだろうが、それらをことごとくつまらないと斬って捨てるつもりなのか?野球やサッカーに熱狂するファンを、『つまらないモノに興味を持つバカ共』とでも捉えているのか。公平性を追求したボクシングの試合で何百億円もの金が動く理由をどう考えているのだろう。
男対女で野球の試合をするとか、大人対子供でバレーボールをするとか、そういうのが楽しいってことだろうか。

『体重差のある試合はすべきでなかった? それは解っている話で、そういうのを見たい人はボクシングを見ればいい。階級は重視すべきだと思うが、今回は競技の枠には収まらない、競技で見られないものを見せようとした』(榊原 実行委員長)
この人は問題の本質を全く理解してない様だ。『それは解っている』と答えてるが、多分『体重差で不利だから、天心が負ける可能性が高かった(それは解っていた)が、敢えてリスクに挑戦した』って意味合いなのだろう。勝ち負けの話。しかしここで指摘されてるのは『安全性を考えて』するべきではなかったのでは?ってことだ。
負ける可能性が高かったが挑戦した。これならチャレンジスピリットとか、勇気とか、賭けてみた、ってことで良いだろう。しかし死ぬとか大怪我する可能性が高い(或いは『低くない』)では話が違ってきはしまいか。
『階級は重視すべきと思うが』とも言ってるが、重視してたらとてもできないはずだ。重視してなかったからこそ決行した訳で、言動が一致してない。多分この人は自分でも何を言ってるのか解ってないのだろう。
『ボクシングを見ればいい』と吐き捨ててるが、では今回のはボクシングではないと言うのか。ここで彼が言う『ボクシング』とは『(プロ)ボクシング』のことであろうが、限りなくプロボクシングに近いルールでやったのだから、限りなくプロボクシングに近い結果となるであろうことは容易に想像できる。高度に『競技化』されたプロボクシングでさえ毎年死人が出ているのだ。彼の言う『競技化しない』、ルールを甘くし大きな体重差を容認して試合を行うのは大変危険である。

山中慎介が体重超過のネリに一方的に倒された試合は記憶に新しいが、人間は減量すると打たれ弱くなる。クッションとなる脂肪が無くなるし、支えとなる筋肉だって最小限まで削られる。それに、小さな質量は外からの影響を受け易くなる、という一面もある。例えばバットで野球のボールを叩けば遠くに飛んで行くが、バスケットボールだったらそうならない。打った手の方が逆に衝撃を受ける。打撃によって脳が揺れて脳震盪を起こし、ダウンに至る訳だが、揺れが小さければ影響は少ない。俗に、顔が大きいと打たれ強いってのはそういうことだ。
天心は動体視力や反射神経、瞬発力共に抜群である。パンチをまともに急所に貰うことが少ない選手だ。軽量級とは言えガッシリした体格だし、幼少期から鍛えて体幹も非常に強い。顔も丸くて顎も細くはない。キャリアの中で打たれたことがあまりないから蓄積したダメージも無い。
その天心があれだけ簡単に倒されたのだ。最初は攻防の中でのダウンだったが、2回目、3回目に至っては最初の一撃でパッタリ倒されてる。しかも、最初と最後のパンチは側頭部に当たってるにも関わらず。

『会見に出ていた天心の喋りもどこかスムーズではなかったし、しきりにクビの付近をおさえていた』
と記事にもあった。引退したボクサーの多くが、多かれ少なかれパンチドランカーの症状が出ることを、この榊原という男はまさか知らないはずはあるまい。仮に自分の子供が選手だったとして、同じマッチメイクができるのかは疑問だ。

俺は知らなかったけど、記事では最後に
『RIZINのスタート当初は、総合格闘技の競技性を究極にまで高めたUFC超えを目指していたのではなかったか』と突っ込んでいる。やっぱり『競技』って意味を取り違えてる様な気がしてならない。
そんな男に舵を握らせて本当に大丈夫なのか?
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