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2018年12月16日06:51

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日中戦争はどのようにして

石原莞爾の思いは満州国を建国して五族共和である満州合衆国で東亜の人々が平和に暮らすことでした。だが、13年半の間に日本の関東軍が支配する形となってしまった。さらに領土を拡大するために中国北部に進出しました。そして、1937年7月7日、北京郊外の盧溝橋付近で中国共産党が放った一発の銃弾で日本軍と中国国民党が衝突しました。

これをきっかけで日中戦争が始まりました。同年に首相となった近衛文麿は、石原莞爾が推し進めていた蒋介石との和睦案をのらりくらりとかわし、中国の国民政府に対して、「国民政府を対手(相手)とせず」と表明しました。そのため、日中間の交渉は打ち切りとなり、日本軍は中国の中部や南部にも軍隊をおくりこみ、上海や首都の南京などを占領しました。

中国では蒋介石がひきいる国民政府と毛沢東がひきいる中国共産党とが対立していましたが、日中戦争がはじまると、ソ連の圧力により協力して日本軍とたたかうための抗日民族統一線をつくって抵抗しました。日本軍は中国の都市や鉄道を占領しましたが、中国軍にはアメリカやイギリス、ソ連などの支援もあり、戦争は長期戦となっていきました。

日中戦争が長引くと、政府は国民の目を戦争に向けさせ、予算の多くを軍事費にあてるための政策を行いました。1938年には近衛文麿内閣によって国家総動員法が定められ、国民や物資のすべてを強制的に戦争目的のために動員できるようにし、さらに、軍事産業には輸入資材や資金を優先的に割り当てられるようにしました。

1940年、近衛首相は多くの政党や政治団体を解散させて、戦争に協力するためにつくられた大政翼賛会に吸収させました。近衛文麿が総裁となった大政翼賛会が政治の実権を握ることで、日本の政治はナチスのような一党による独裁政治に近い形となり、国民生活や新聞、ラジオなども戦争に批判的に言論は許されなくなっていきました。

日本国が併合している朝鮮では、日本語の使用を強制したり、姓名のあらわし方も日本式にさせるなど、「皇民化」がすすめられました。また、日本の軍需工業などでの働き手や兵士として、朝鮮の人々がたくさん動員されました。このような皇民化は、台湾の原住民でもおこなわれました。

私は1年に一度の国慶節に台湾へ行きました。66年ぶりに台湾と中国の首脳が会談しました。会談実現の背景には中国によるアメリカのけん制、台湾総統選など諸事情があるのでしょう。共産党と国民党の内戦で共産党が勝利して、中華人民共和国を成立しました。

一方の国民党は台湾へ渡り、政権を立てたのです。2014年に台湾を訪れた中国人は400万人です。台北は中国人だらけで日本で行っているような爆買していました。中国共産党は「台湾は中国の一部」という立場を譲らないでしょう。一方の台湾住民の多くは現状維持を希望しています。日本人が統治していた時の方が幸せだったのではないでしょうか。

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