「自己責任」という言葉は日本語だけのものだそうだ。
Self responsibility なんて言っても、外人さんは「はぁ?」と理解できない。
グローバルな思考を目指すなら「自己責任」という概念を頭から消し去らなければいけない。
日本の母子家庭のうち60パーセントが相対的貧困状態だという。
相対的貧困というのは、それぞれの国家、地域での一人あたりの平均収入の半分しかもらってない人々のこと。
こういう人たちは生活保護を受ける権利があるというのが世界の標準だ。
だけど日本では貧困な人たちの生活保護の捕捉率が20パーセント以下だ。
ということは計算すればわかるけど、母子家庭の約半分が生活保護以下の暮らしをしていることになる。
女性専用車両について目を吊り上げて議論している場合じゃない。
こんなような掴みで面接授業が始まった。
奈良大学の先生だった。
なんでも奈良大学の歴史学の研究レベルはかなり高いそうだ。
授業の募集案内には次のようなことが書いてあったので期待して行った。
「現代日本は、貧困の公的救済に対し、世界的にみて突出した「冷たさ」を誇る社会となっています。…なぜかほどまでに「自己責任」を追及する社会となってしまったのかを、近世日本を基点に、長期的な目線にたって考察していきたい。」
期待通りの内容だった。
まずは現代の日本がどれだけ貧困に冷たい社会か数字をあげて説明される。
それから江戸、明治の頃の古文書、資料を使って、当時の社会の仕組みと精神史を探っていく。
最後に驚くべき結論が導き出された。
緻密な検証と論理的な推理で上質なミステリーのような授業だった。
もしかしてこの日記を読んだ人は内容を知りたいかもしれない。
でも12時間に及ぶ講義内容で、分厚いレジュメにびっしり書き込みをしたから、とてもじゃないがここに書ききれない。
そのかわりにB級グルメのデカ盛りについて書く。
講義は奈良女子大学であった。
お昼の休憩でご飯を食べに行く。
朝に散歩したとき感じの良さそうな喫茶店をみつけておいた。
「喫茶・田川」というところ。
大学から少し東へ行った生活道路沿いにある。
古い造りでカウンターだけの小さな店だった。
店内に入り、お店の人にオススメを聞く。
「カレーライスしかありません」と言われた。
店の人と張り紙の説明によると、50年前から作り続ける秘伝のルーでカレーライス一本で勝負しているようだ。
それではわたしもカレーの大盛りで勝負することにした。
値段は800円だ。
ご飯がカレー皿に限界ギリギリまで盛られて出てきた。
丼ぶり2杯ぐらいありそうだ。
これでは食べていくうちにカレールーが足りなくなるぞ。
そしたら店の人が「ルーのおかわりができますから、おっしゃってください」
安心して食べ始めた。
関西らしくお肉はビーフだ。
カレーの味は中辛で小麦が入って粘りがある。
昔懐かしいタイプだ。
お昼の休憩時間が50分だったので、ちょっと急いだ。
大食い選手権に出ているような気分。
途中でルーを足してもらって完食した。
あとで聞いたらご飯のおかわりも無料でできるらしい。
だったら大盛りなど注文しなくても、小盛りを頼んで何度もおかわりすれば安くすむ。
でもそういう意地汚いことをする人はいないようだ。
奈良の人たちは礼儀正しいのだ。
来年も奈良で授業があったら「喫茶・田川」へ行こう。
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