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2018年11月26日05:40

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日独は石油を確保出来なかった

アメリカでは、1930年代後半までに石油が石炭を抜いて最大のエネルギー源となりましたが、ドイツでは、第2次世界大戦直前でも、石炭が国内で使われるエネルギーの9割を占めていました。20世紀初め、ドイツの科学者は石炭から抽出した液体で合成燃料をつくることに成功しましたが、その工程は費用がかかり過ぎました。

世界市場で安い石油と張り合うことは出来なかったのです。ヒトラーは、1936年にドイツの巨大化産業IGファルベンの助けを得て、国内に合成燃料の産業を確立するという野心的計画を実行に移してこう宣言しました。

「この課題には、戦争の遂行と同じ断固たる決意を持って取り組み、是が非でもそれを成功させなければならない。なぜなら今後の戦争の遂行がその解決にかかっているからだ。」1940年、ドイツの精油所は1日に72000バレルの合成石油を生産しました。これはドイツの石油供給量全体の半分近くにあたるのです。

1944年には、合成石油産業は軍事用エネルギーの半分以上をまかなうまでになりました。軍用機の燃料は92%が合成石油だったのです。しかし、その不十分を補う石油の確保は困難で高くついたのです。石油を渇望するドイツは、1941年6月22日にソビエトに侵攻したのです。 ヒトラーは、ソビエトに対して迅速に勝利を収めたかった。

コーカサス地方のバクー油田へのアクセスを確保して十分な石油を手に入れ、戦争に勝つことが出来ると見込んでいたのです。ドイツの軍需相アルベルト・シュペーアは、1945年、連合国側の尋問に答えて、ドイツがソビエト侵攻を決意したのは「石油の必要性が最大の動機であることにまちがいない」と認めていいます。

しかし、ソビエト軍の抵抗でドイツの攻撃は勢いが鈍った。1942年8月、ドイツ陸軍はコーカサス地方のマイコープ油田に到達したが、油田と精油施設はすでにソビエト軍に爆破されたあとでした。燃料が乏しく、母国からも遠くはなれたドイツ軍に敵を打ち負かしてコーカサス地方の中心的油田地帯であるグロズヌイを確保する力はなかったのです。

皮肉にも「ドイツは石油を求めて石油不足になった」とケンブリッジエネルギー研究所会長のダニエル・ヤーギンは記しています。努力が水泡に帰したドイツは国内の合成石油生産に頼らざるをえなかったが、それだけでは軍の行動を支える事はできなかったのです。

1941年の真珠湾攻撃も、その年6月にドイツがソビエトを攻撃したのと動機は同じで、日本は自国の軍事力を支える石油へのアクセスを捨て身で求めました。そのころ、アメリカとオランダ領東インド諸島(現在のインドネシア共和国)が、日本にとって石油のおもな供給源でした。

しかし、1941年7月、日本がインドシナ半島南部に侵攻すると、イギリスとオランダ領東諸島とアメリカは、即座に日本への石油の輸出を全面禁止しました。石油が不足した日本は、真珠湾のアメリカ艦隊を奇襲する事を決めました。

目的は、アメリカ太平洋艦隊に大打撃を与え、あわよくばそれを壊滅させ、それからオランダ領東インド諸島の油田を奪うことだったのです。計画は成功した。しかし、戦争が進むにつれてアメリカは太平洋の制空権を勝ち取り、1944年には、日本の造船能力を上回る勢いでアメリカ軍の飛行機や艦艇が日本のタンカーを撃沈するようになりました。

同年、日本への石油の輸送量は半分に落ち込み、翌1945年にはほぼゼロとなったのです。軍事活動を進めるための石油を失った日本は、松の根から抽出した燃料で飛行機を飛ばすしかなく、車両を動かすのに炭まで使う始末でした。第2次世界大戦の帰結は、連合国側が世界の石油供給の殆どを握っていたという単純な事実に集約する事が出来るのです。

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