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2018年10月25日09:07

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この世は「百鬼夜行」。かわいらしい化け物の行進です。

高認(大検)のイメージは、落伍者や変わり者でした。
ところが、今はそうでもありません。
自分が耐えられないと思ったことに対して、耐えずに飛び出す。
自分が強いからこそ、飛び出すという人が増えつつあります。

日本の中学高校の原型は、リセでありギムナジウムですが、
たとえば、パリのラサールが秀才を集めて鍛えるというモデルの悪いところをとり入れている感があります。
校則もそうですが、
考えてみれば、学校は課程が決まっており、その中で勉強することは、創造性がないことです。
それを辛いと考える自由は、若者にあります。

もっとも、経済に行く人の英語や数学のように、後で役に立つことがしみじみとわかるというケースもありますし、一般教養が気付かないうちにモノをいう場合も多いです(たとえば職場の数学者は、口を揃えて、「全科目を勉強しないと数学者として伸びない」といいます)

ですが、学校制度に適合するのも一つの生き方ですが、批判して飛び出すのも一つの生き方でしょう。
全ての人が、絵に描いたような教養人になる必要はありません。偏りを活かした自分のニッチを見つければいいわけです。また、自分が強いから飛び出す人は、何かに長けている人が多いです。企業が、退職金割増の希望退職者を募ったら、優秀な社員が我れ先にと応募してきたという話があります。それと似ているといったら、褒めすぎでしょうが。
飛び出した人が、95%、我がままで我慢が足りない石ころだとしても、残りの5%の宝石を切り捨てるのは惜しすぎます。

話は変わりますが、
室町後半から、「百鬼夜行図」が盛んにつくられました。
鬼は、内心のコンプレックスの反映でしょう。

たとえば、
北陸のあちこちに伝わる「雪女」伝説。
共通点は、
家に帰る出稼ぎの旅人が、吹雪に「迷い」一夜の宿を借りる。恐ろしく美しい女が出てきて、息を吹きかけられたら、全身が「氷」になって、死んでしまった。
というものです。
家族を捨てて別の女のもとに行くという、冷たい行いをしてしまうのではないか…
という恐怖がそこにあるでしょう。

「百鬼夜行」は、『今昔物語』『宇治拾遺物語』に出てきますから、大昔からあったものですが、
絵図に描かれた鬼が、何とかわいらしいことでしょう。

どんな人も、自分のどうしようもない個別性を持っています。

その個別性に対する。非常に温かい気持ちが昔の人にはありました。

多様性が社会や区切られた集団を活性化するのは、言うまでもないことです。



■東京医大不正、本来なら合格69人 高卒認定者も不利か
(朝日新聞デジタル - 10月24日 23:51)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5346292
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