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2018年10月23日22:13

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ヤマタノオロチの伝承地を巡る

10月17日(水)の続き

若桜町から鳥取市へ戻り山陰近畿自動車道を西へ走る。
島根県に着いた。

出雲大社は興味がないので行かない。
国道54号を南へ走り出雲市の南にある雲南市に来た。
「道の駅・木の里きすき」でご飯を食べてからJR木次駅にある観光案内所に入る。
そこで係の人に尋ねた。

「ヤマタノオロチの伝承地をまわりたいんですが地図はありますか?」

係の人は部屋の隅っこからパンフレットを持ってきて説明してくれた。


ヤマタノオロチ(八岐大蛇)は古事記、日本書紀に出てくる日本神話最大の怪物だ。
8つの丘に体が延びている大蛇で、頭が8つ、尻尾も8つ。
体が大きいので背中に樹木が生えている。
アマテラスオオミカミの弟であるスサノオノミコトに退治された。
キングギドラのご先祖でもある。

頂いたパンフレットと地図を頼りに八岐大蛇伝承地を見に行くことにした。

まずは来た道を戻り、雲南市の北の端の方へ。
斐伊川の支流の赤川を下流へ向かう。。

途中の神原神社古墳にも立ち寄る。
魏志倭人伝によると239年に卑弥呼は中国から銅鏡を100枚もらった。
この神原古墳からはその同じ年制作の銘がある鏡が出土した。
雲南市というのは、じつは凄いところなのだ。
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そこからもう少し下流の田んぼのとなりに八口神社があった。
スサノオが八岐大蛇に矢を射てとどめを刺した場所だ。
出雲風土記にも記載されていて、創建から社地が一度も移動していない由緒ある神社だ。
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八口神社から県道を挟んで200メートルほどのところに草枕山がある。
斐伊川との合流点近くで20メートルほどの小さな丘だ。
八岐大蛇は毒入りの酒を飲まされて、もがき苦しみながらこの山を枕にして寝ていた。
そこをスサノオに仕留められた。
道があったので登っていくと頂上には祠があった。
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八口神社から500メートルほど南へ行く。
尾留大明神旧社地は斐伊川の河岸段丘で古い家が立ち並ぶ坂道の途中にあった。
スサノオは八岐大蛇の死体の尻尾を切り取ったら剣が出てきた。
これが天叢雲剣だ。
スサノオはこの剣をお姉さんのアマテラスオオミカミにプレゼントした。
その後、三種の神器の一つになり熱田神宮の御神体として祀られている。
スサノオはこの場所でその神剣をゲットしたのだ。
熱田神宮に何度も初詣にお参りしたことがある名古屋市民としては感慨ひとしおだ。
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感激して佇んでいたら日が暮れてきた。
伝承地巡りの続きは明日にする。
佐白温泉長者の湯でお風呂に入り、道の駅おろちの里で車中泊。
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10月18日(木)

夜明けとともに行動を開始する。
道の駅のすぐ近く、斐伊川の辺りに石壷神社がある。
境内社の尾呂地神社には八岐大蛇の尾が祀られている。
中を覗いてみたかったけど、もちろん鍵がかかっていた。
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車で7キロ下流の集落へ行く。
高校生がコミュニティバスの停留所でバスを待っている。
バス停の裏手に温泉神社がある。
スサノオの奥さんになるクシナダの両親が住んでいた家の跡に神岩があった。
道路の拡幅でこの神社の境内に移され安置されている。
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その神岩があったのは斐伊川の500メートルほど下流だ。
天が淵と呼ばれる瀞になったところの上の斜面だ。
この天が淵に八岐大蛇が住んでいたという。
ちょうどここで斐伊川は大きく蛇行して川幅が広がり流れは淀んでいる。
大蛇が住むほど大きな水面じゃないけど、急流が突然に途絶えていて不思議な感じがする。
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斐伊川から離れて山の方へ入っていく。
細い道の突き当りに小さな集落があり、いちばん奥に印瀬の壷神があった。
また小さな丘を登っていく。
頂上に木柱で囲まれた花崗岩があった。
八岐大蛇は毒入りの酒を飲まされて退治された。
その酒は八つの壷に入れてたのだが、そのうちの一つがこの花崗岩の下に埋めてある。
いまでも集落の住民は毎年六月末日になると8本の弊をここにお供えしている。
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また斐伊川に沿って下流へ行く。
雲南市の中心街近くに八岐大蛇公園がある。
お姉さんのアマテラスオオミカミと喧嘩したスサノオが不貞腐れて歩いていたら斐伊川から箸が流れてきた。
それで上流に人が住んでいることを悟り、クシナダヒメの家族に巡り合った。
その箸を拾った場所とされるところに石碑と石像が建っている。
八岐大蛇は予算と場所の関係だろう、首が一つしか作ってなかった。
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もう少し下流のハローワーク近くの住宅街へ行く。
細い生活道路に進入する。
新しい家が建ち並ぶ一画に八本杉がある。
八岐大蛇の首を埋めた場所だ。
生き返らないように八本の杉を植えたという。
何度も洪水で流され、現在のものは明治時代だそうだ。
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しかしこうやって見てくると、八岐大蛇伝説は斐伊川沿いに広がっている。
ちょうど雲南市の中心街に伝承地が集中している。
この川は現在は宍道湖に流れ込んでいるが、古代は出雲大社周辺から日本海へ通じていた。
下流の方は出雲平野の真ん中で流れも穏やかだ。
海から船でここまで来ることができただろう。

伝承地エリアの上流から斐伊川は渓流になる。
そして支流のあちこちでは砂鉄がたくさん採れ、弥生時代から鉄の生産が盛んだった。
近世では日本の鉄生産の8割が斐伊川周辺だったそうだ。

古代の出雲地方が隆盛を誇ったのも斐伊川があったからじゃないのか。
日本海を越えた朝鮮から製鉄の最新技術を移入して、上流で作った鉄を集めて船で運搬する。
八岐大蛇の尻尾から天叢雲剣が出てきた意味はそこにあるのだろう。

スサノオがアマテラスオオミカミの弟になったのもなんとなく理解できる。

古代において出雲は製鉄など技術と経済の中心地で、大和は政治の中心地だった。
ちょうど大阪と東京のようなもので、やはり政治を司るところのほうが強いのだ。

国際プロレスが倒産したとき、エースのラッシャー木村は全日本プロレスに移り、そこの社長であるジャイアント馬場の弟というギミックでリングに上った。
「兄貴〜!」というマイクパフォーマンスが懐かしい。

つまり同じ構図なのだ。

国際プロレス→ラッシャー木村、弟 全日本プロレス→ジャイアント馬場 アニキ
出雲の国→スサノオ、弟 大和の国→アマテラスオオミカミ お姉さん


これはどうも当地の鉄生産について研究しなければいけない。
地図を見ると雲南市の外れの方、旧吉田町に「鉄の歴史博物館」というのがある。
八岐大蛇伝承地はまだまだ他にもあるけど、飽きてきたし。
ちょっとそっちへ行ってみることにした。


つづく
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