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2018年10月22日20:29

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浦島太郎と氷ノ山登山と被差別部落の山陰地方の報告

ひさしぶりに長い旅をしてきた。
今回は山陰地方だ。
いろんなことがあったので長い日記を連載する。


10月16日(火)

名古屋から名神、北陸道を走る。
小浜インターで降りて京都府舞鶴に着いた。

最初に訪れたところは「舞鶴引揚記念館」。
第二次世界大戦後に大陸にいた日本人が船で本土へ帰ってきた。
その帰還の最大の港が舞鶴港だった。
引揚げの町・舞鶴として全国的に有名になった。

展示には戦争当時の生活品や武器のほか、引揚げの有名人の遺品もある。
有名なのは「岸壁の母」の端野いせさんだ。
帰らぬ息子の名前を書いた自宅の表札が涙を誘う。
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楽しいのはシベリアの捕虜収容所を再現した部屋。
極寒の地で飢えに苦しみながら死んでいった捕虜たちの姿が再現されていた。
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舞鶴をあとにして丹後半島へ向かう。

天橋立は興味がないので通過する。
わたしが行きたかったところは浦嶋神社だ。
浦島太郎の伝説が生まれた場所だ。

浦嶋神社の前には「浦島館」という立派なレストランがある。
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残念ながら営業時間を過ぎていたので通り過ぎて参拝をする。
浦嶋神社の祭神は浦島太郎だ。
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社務所に行くと宮司の奥さんがいた。
宝物館と書かれた建物を見かけたので見学を希望する。
奥さんは社務所から出てきて宝物館の鍵を開け、中に招き入れてくれた。
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内部の写真撮影は禁止なので文章で説明する。

畳敷きの部屋の床の間に大きな絵図が飾ってある。
浦島伝説を描いたものだ。
鎌倉時代に書かれたもので重要文化財になっている。
奥さんはそれに沿って浦島太郎の話を解説してくれた。

ちょうどこの神社が建っているところは海岸だった。
浦島太郎、正式名は浦嶋子だが、ここから出発したそうだ。

日本書紀と丹後國風土記逸文に書いてあるところによると。
丹後の浦嶋子という人が亀の化身の女性と一緒に船に乗って常世の国に渡った。
そこで道教の修行を3年間して故郷に帰ってみると300年の時間が経過していた。

浦嶋子が亀女と船に乗ったのは西暦478年と記載されているそうだ。
しかし帰ってきたのが300年後なら、すでに日本書紀は完成していた。
どうもそのへんがよくわからんが、とにかくここが浦島伝説の始まりの地であることは間違いない。

奥さんは解説が終わると玉手箱を見せてくれた。
神社に古くから伝わる社宝だ。
といっても室町時代頃のもので化粧道具を入れておく蒔絵の箱だ。
黒漆に金色の亀甲模様が施してあって、かなり高貴な方が使った化粧セットだそうだ。

玉手箱を前にして奥さんはいろんなお話をしてくれた。

普通こういうシーンでは神社の霊験あらたかなスピリチュアルな内容になりがちだ。
でも奥さんは民俗学的な考古学的な観点から伝説の解説をしてくれる。

たとえば丹後半島あたりは対馬海流とリマン海流の合流点に近く、3月から6月にかけて朝鮮半島からの漂流物が流れ着く。
だからこの辺りには田舎のわりに在日の人もたくさんいる。
以前は朝鮮からの密航者が多かったからだ。
浦島伝説もそういう朝鮮と海流の関係から生まれてきたものだろう。

わたしが名古屋から来たと言うと、奥さんはこんな事も話してくれた。

浦島伝説を記した丹後國風土記逸文は熱田神宮に所蔵されている。
なぜ丹後の風土記が名古屋の神社にあるのか謎だそうだ。

さらに浦嶋神社から数キロ奥へ行くと蒲入という集落がある。
ここの住民は名古屋弁そっくりの方言を話す。

もしかしたら丹後と尾張は深い関係があるのかもしれない。

しかし奥さんは宝物館に来る人に、いつもこんな身も蓋もないような学術的なことばかり言ってるのだろうか。
パワースポットを求めてきた女子などゲッソリするんじゃないか。
たぶん、頭の良さそうな方だから相手を見て話題を変えているのだろうな。

浦嶋神社のあとに蒲入へ行ってみた。
おじいさんが作業をしていたので道を聞くふりをして話しかけてみた。
たしかに、わたしよりコテコテの名古屋弁でビックリした。
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山陰近畿自動車道を走り鳥取市に来た。
この自動車道路は全部開通していない。
だから半分くらい一般道を走るので時間がかかるけど、無料で通行できる。
それで思ったより早く到着した。

鳥取砂丘は興味がないので通り過ぎる。
19時30分ごろ、「氷ノ山キャンプ場」に着き駐車場で車中泊。


10月17日(水)

今日は氷ノ山(1509m)に登る。
中国地方では大山に次ぐ2番目に高い山だ。
鳥取兵庫県境にあり、兵庫県の最高峰でもある。

駐車場のとなりが登山口だった。
6時30分出発。
天気は曇っていて展望はよくなさそうだ。

よく整備された登山道を登る。
傾斜も緩やかだ。
平日の朝早くなので他に登山者はいない。
樹林帯を気持ちよく歩き、1時間で氷ノ山越に着いた。
1200メートルほどの峠で、ここから稜線歩きになる。
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避難小屋を覗いてみたら宿泊している人がいた。
氷ノ山は東中国地方の山塊の一部で、兵庫県から登ると2日ぐらいで縦走することができるそうだ。

氷ノ山越から頂上までは起伏の少ない尾根稜線だった。
しだいに雲が取れていき兵庫県側の景色が見えてきた。
やがて頂上の小屋が見えてくる。
それを目指して少し急になった登山道を登る。
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8時30分、登頂。
広い頂上と大きな避難小屋がある。
2時間で登れるわりには山深い景色だ。
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すぐにガスがかかってきた。
来た道を戻ることにする。

登山口に下りてきたのが10時15分。

ちょうどよい運動になった。
お風呂に入りたい。

麓を下っていくと日帰り入浴施設がある。
天然温泉の「若桜ゆはら温泉・ふれあいの湯」だ。
まあ普通のところだったけど、休憩室でびっくりするものがあった。

11月に地元の若桜町で開かれるお祭りの宣伝ポスターだ。
そのまつりの名前が「若桜町部落解放ふれあいまつり」。
開催場所はふれあい交流センターと名前が変わっているけど、もともとは隣保館だ。
「楽しい催し盛りだくさん!」なんて書いてある。
たしかに、餅つき大会、音楽演奏、お楽しみバザーなど盛りだくさんで楽しそう。
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温泉施設の受付の人がヒマそうにしているから聞いてみた。
「これは被差別部落の催しですね?いまでも差別はあるのですか?」

女の受付の人だったけど、呑気そうに答えてくれた。
「なんかよくわからないけど部落があるみたいですね。たぶん予算をもらっているから使わないといけないから、こういうのをやるんでしょう。この町の人たちはお祭り好きで、しょっちゅうイベントがありますよ」

どうも深刻な差別は存在しないようだ。
まあ田舎で差別すると言ったって、いまどき何をどうするものでもないし。
皆んなで楽しくやっているのだろうか。

帰りに隣保館のあたりを通り過ぎた。
たしかにニコイチの同和改造住宅が建っていた。


長くなってきたので、続く。
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