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2018年10月21日09:53

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校則は、そもそも本質的に教育とは相いれない。

長年、予備校の教壇に立っていると、ファンの生徒が出来ます。
突っ込んだ話をすることがありますが、
あるとき、女子の生徒がおもしろいことを言っていました。
「女子高で一番たちが悪く、素行も悪かったのは、黒髪の人で、完璧に校則を守るタイプだ。」と。
なるほどと思ったので、他の人にも聞きましたが、ほぼ同じようなことを言います。
そんなものでしょうね。

ただし、この子(ローラ似の派手な目鼻立ちの女性で、在学時代はわかりませんが、予備校生時代は染めていました)は、中堅校です。底辺は、そもそも予備校に来ないので知りません。
彼女は話していて愉快な人でしたし、慶應に合格しました。そういうタイプの一つの暫定的な解釈は、おしゃれであることは、社会性や創意工夫がある証拠である。だから、素行はともかく、モノが分かっている人が多いと思います。

服装の乱れは生活の乱れ(心の乱れ)と言います。

それが当たっている局面もあるにはあっても、きめ細やかな高校生の生活では、もはや、時代遅れになったり、一部のものになったりしているのでしょうね。

まあ、外見で他人を判断するのは、よくありません。
よくないというのは、倫理道徳的な意味もありますが、
それ以上に、的中しないからです。
だから、学歴主義者などで、優秀な人をみたことがありません。

大体、発心して勉強をするタイプには、二十くらいのパターンがあります。
(不良のパターンも単一ではないでしょう)

まず、相手の多様性を見極めようという態度があってはじめて、教育が成立すると思います。

…昨日は、そういう意味で非常にうまく行っているクラスでした。
江藤淳(この人はキライですが)の文を元にした評論の問題(生徒たちは長文と言いますが、私は極超短文と言います(笑)。
『西国立志篇』『学問のススメ』的価値観の棚上げとしての白樺派新思潮。それに対する反措定としての漱石…という内容でしたが、
たとえば東京の文化の破壊としての関東大震災の話や、なぜ鷗外が普通選挙に反対していながらあんなにリベラルだったのかという話も出来ました。

いろいろなタイプの人を、教養や一般常識があってはじめて文が読める…という方向にまとめ上げると、本当に充実感を覚えます。


黒染め強要に下着の色チェック――驚くべき「ブラック校則」の理不尽な実態
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=141&from=diary&id=5339824
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