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2018年09月22日00:59

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歌枕紀行「大神神社」

 大神神社は、前回の奈良の南方、三輪山のふもとにあります。大神と書いて「オオミワ」。神が連続してややこしい・・・がく〜(落胆した顔)
 この神社、山自体を御神体としているので、いわゆる「本殿」がありません。拝礼や祈祷も山に向かって行います。一般的に、神さまは本殿にいらっしゃるような錯覚がありますが、こうして拝むと「自然そのものが神なんやなぁ・・・」と、神社の本質にちょっと触れた感じクローバー 
 『日本書紀』によると、伊勢神宮の祭神・アマテラスは、もともと三輪山のふもとに祀られていたが、垂仁天皇(4c?)の頃に伊勢に引っ越したとあります。この妙な説話は、どうやら持統天皇(645-703、女帝)の頃に、政治的な理由で「天皇家の祖廟は伊勢神宮exclamation」と決めちゃったものの、地理的に無理があるので創作されたよう。この辺はかの邪馬台国の推定地でもあり、天皇の故郷なんですね。
 日本国1丁目1番地が、富士山のような大山塊ではなく、まるでプリンのような可愛らしい山のふもとに生まれたというのも、なんかこの国らしい感じがします桜
 
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◎八年夏四月庚子朔乙卯、以高橋邑人活日、爲大神之掌酒。
(八年の夏四月十六日、高橋邑の人・イクヒに命じて、オオモノヌシの掌酒(サカビト)とした。)

 冬十二月丙申朔乙卯、天皇、以大田々根子令祭大神。
(冬十二月二十日、天皇はオオタタネコに命じてオオモノヌシを祀らせた。)

 是日、活日、自舉神酒、獻天皇。仍歌之曰
(この日、イクヒみづから神酒(ミキ)を捧げて、天皇に献上した。そこで歌を詠むには)

    許能瀰枳破 和餓瀰枳那羅孺(この神酒(ミキ)は わが神酒ならず)

    椰磨等那殊 於朋望能農之能 介瀰之瀰枳(倭国(ヤマト)なす オオモノヌシの 醸(カ)みし神酒)

    伊句臂佐 伊久臂佐(幾久(イクヒサ)、幾久)

(この神酒は、私が造った神酒ではありません。この倭国の創造主であられるオオモノヌシがお造りになった神酒です。長く栄えあれ、栄えあれ!)

【八年】第10代・崇神天皇(4c?、垂仁天皇の父)の治世八年
【高橋邑】大神神社の北方、天理市檪本町の辺り
【オオモノヌシ】大神神社の祭神。初代・神武天皇の后の父という
【掌酒】神社に奉納する酒を造る役人
【オオタタネコ】オオモノヌシの子孫として、河内の陶(スエ)村(堺市中区陶器)で探し出された人
【倭国なす】『古事記』によると、オオクニヌシ(出雲大社の祭神)が日本の国造りに難渋していた時、海のかなたからオオモノヌシがやって来て、「われを三輪山に祀れば成功するだろう」と告げたという


 如此歌之、宴于神宮。卽宴竟之、諸大夫等歌之曰
(このように歌って、三輪神社で宴をもよおした。やがて宴が終わると、諸大夫らが歌を詠むには)

    宇磨佐開 瀰和能等能々(うま酒 三輪の殿の) 

    阿佐妬珥毛 伊弟氐由介那(朝戸にも 出(イ)でて行かな) 

    瀰和能等能渡塢(三輪の殿戸を)

(うまい酒だなぁ! できれば三輪神社で一晩中酒盛りをして、朝に出てゆきたいなぁ。三輪の社殿から) 

【諸大夫】天皇に近侍する上級貴族たち
【うま酒】「みわ」の枕詞


 於茲、天皇歌之曰
(そこで、天皇が歌を詠むには)

    宇磨佐階 瀰和能等能々(うま酒 三輪の殿の) 

    阿佐妬珥毛 於辭寐羅箇禰(朝戸にも 押し開かね)

    瀰和能等能渡烏(三輪の殿戸を)

(うまい酒だなぁ! お前たちは望みどおり三輪神社で宴を続けて、朝になってから出てゆくがよい。三輪の社殿から)


 卽開神宮門而幸行之。
(そして、天皇は神社の戸を開いて出て行かれた。)

 所謂大田々根子、今三輪君等之始祖也。
(このオオタタネコは、今の三輪君らの先祖である。)

【今】『日本書紀』が編纂された8c初め
【三輪君】大神神社の神主をつとめる氏族。この説話は彼らの家業を証明する意義もある

                           『日本書紀』巻五・崇神天皇

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