臣民とされた日本国民にとって、天皇のために死ぬことは本人は元より家としての誉れであり、軍国歌謡曲の「軍国の母」ではその精神が表現されている。
大日本帝国陸海軍は本土決戦に備えて航空機約3000機を保有していた(整備機・予備機を含めれば5000から6000機)。そのためにB29に対しての撃墜や神風特別攻撃隊に割ける航空機は限られ、最後の最後には練習機である赤とんぼによる特攻攻撃まで行われた。
しかし神風特別攻撃隊に志願して敵艦に突っ込んで行った人たちを「戦争の犠牲者」と捉えるのは必ずしも正解ではない。
敗戦が色濃い状況であるにも関わらず大日本帝国が戦い続けたのは「天皇制の瓦解」を恐れたためであるが、それぞれの兵士および人々にとっての思いは様々で、国に殉じようとして死地に赴いた人たちもいる。つまりは「殉国の精神」を理解できない、もしくは理解したくなければ、全てを「戦争の犠牲者」と捉えてしまい、「戦争はやってないけないこと」となどといった妄信を生み出してしまうこととなる。
■生きて帰った元特攻兵 恥じる息子に両親がかけた言葉
(朝日新聞デジタル - 09月18日 10:00)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5293557
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