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2018年09月16日00:13

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歌枕紀行「御幣島」4

 なにわ島めぐりリゾート 今回は御幣(ミテ)島です。
 場所は、前回の田蓑の島のすぐ東。この辺りは海抜が低いだけあって、島だったとおぼしき地名がたくさんあり、その昔「難波八十(ヤソ)島」(淀川河口のたくさんの島々)と呼ばれたことがうなずけます。
 御幣(ミテ)とは、神様に捧げる供物のこと。平安時代、天皇の代替わりごとに、新天皇の乳母が難波に遣わされて、即位を海神に報告する「八十島祭」が行われていたそうですが、この辺りなのかしら・・・とボンヤリ思いつつ歩いていたら、住吉神社跡のデッカイ石碑に出くわして感動しましたぴかぴか(新しい)
 
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◎後鳥羽院の御時、八十島の祭に詠みはべりける(+歌) 

    天(アメ)のした のどけかるべし

               難波潟(ナニハガタ) 田蓑の島に みそぎしつれば

(これからは天下太平に違いないぞ。この難波の干潟にある田蓑の島でみそぎをしたのだから)

【津守経国】1185-1228、住吉神社の神主。1215年に摂津守に就任。古くから「大阪湾岸はすべて住吉神社の所領」と観念されており、八十島祭にも深く関わっていたらしい
【後鳥羽院】1180-1239、高倉天皇の子。1183年、源平合戦のさなかに即位。16年後に息子に譲位してからも実権をにぎり続けた
【八十島祭】承久二年(1220)十一月か。翌年五月、後鳥羽院は鎌倉幕府の討滅をくわだてるが敗北し、息子の天皇もろとも島流しにされる 
【田蓑の島】祭場は難波津(天満橋の辺り)や住吉大社などが知られるが、この時は神崎川の河口で行ったらしい。「場所を決めずに、難波のいづれかの島で行う」という趣旨なのかも知れない
【みそぎ】体に水をそそぐことによって罪や汚れを払うこと。八十島祭では、新天皇の衣を海に向かって振って霊気を寄りつかせて、神へのさまざまな供物を海中に投げ入れる

                     『新後撰和歌集』賀歌1609・津守経国    



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