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2018年09月02日22:26

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熱かったぞ!プロ野球 両投げ両打ち

プロ野球大好き中年を自認する僕だが
実はプレイヤーとしては殆どサッカーしかした事がない。
でも、本当は野球がしたかった少年時代。

学校が終わって放課後になると
決まって近所の大型グランドがある公園に行って
草野球をやったもんだけど
グローブを親に買ってもらったのが小学2年生の時だけで
後は他人の借り物を使って楽しんでいたという
何だかビンボ臭い話だが実話

だが、そのお蔭でグローブが右手だったり左手だったりするわけで
必要に駈られて両方の手で投げられるようになったという副産物が!
もちろん、元来は右利きなので
左でピッチャーをする事は出来ないけど、90〜100キロの直球だけなら
左でも投げる事が出来る

左打席に入ったきっかけも
憧れの左打者の真似をしたのがきっかけだが
実はそれは、リチャード・ランス(広島)の真似だった
野球ファンなら記憶にあるだろう
87年のセ・リーグ本塁打王である。
打率は.218で史上最低打率の本塁打王であるが
シーズン88安打中39本がホームランよ
しかも、その殆ど全部が当たった瞬間に分かるホームランだからね
憧れるのよ

初めてバットを長く持って左打席に入った時、
たまたまだったとは思うけど、特大のホームランを打ってね
気を良くして左バッターになった。
それまでは日本三大ヒロミツの一人、落合博満に憧れて
神主打法の右一本だったのに
(因みに、残り二人のヒロミツは門田博光と鈴木ヒロミツ)

どちらにしても他人のグローブを借り続ける限りは
どちらのグローブを借りられるかで右投げか左投げかが決まるため
自分では選べない
両打ちになったきっかけは
メジャーとNFL両方で活躍する、
ボー・ジャクソン(右打ち)とディオン・サンダース(左)の両方の真似を
し始めたからである。
中学に進んでも、高校になっても僕は「本業」はサッカーだが
放課後の草野球は続けていて
そういうのもあって、二刀流にシンパシーがあったのかも

そう言えば、当時の陸上の100M日本記録は
ラグビー選手だった高校生・中道君が持っていたり
ちょっとした「二刀流」ブームだったんだよ

やがて、日本にもメジャーからモノホンのスイッチヒッターが来日する。
ライオンズに来たスイッチの本塁打王、デストラーデである。
たぶん、ライオンズ史上最強の助っ人はカブレラではなく、彼である。
しかし、真似をしたところで本塁打が打てるわけではない。
ややアッパー気味の彼のスイングは真似をしたところで身につかないのだ
そこで目を付けたのが大洋に来たレイノルズである。
すぐにレイノルズの真似に移行する僕(笑)

まぁ、そんな具合で
左投げは投手の場合だと星野伸之風
右投げは投手の場合だと山田久志風
左打ちはレイノルズ風
右打ちはデストラーデ風。。。

というヘンチクリンなフォームで固まっていくのである。
しかし、リアル両投げ両打ちである事は間違いない。
本格的に野球をやっていなかったからこそ、実現したのだと思う。

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