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2018年08月18日11:30

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栗城史多とは一体何だったのか?《参》

栗城さんのエベレスト挑戦は、とにかく自分で可能な限りハードルを上げて難しくする。
まず『単独』、『無酸素』。
途中から春に変更したが、それまでは寒さの厳しい秋。
我々素人にはよく判らないが、ルートも難しい所を選択する。
そして登山期間が短い。早目に計画を立てても何らかの理由にかこつけて出発を延期。更にはドローンで空撮とか、高所経験の少ないスタッフを帯同させてパーティーの進行を遅らせる。そして『時間が無い』を理由に強行スケジュールを組んで高山病を発症させる。
『時間が無い』は悪天候の季節の到来が近付いてるということでもあり、それまで粘る。そしてジェットストリームや吹雪、豪雪、氷壁などの悪天候や、高度順化で無理した体調不良を理由に撤退。
基本的には毎回この繰り返しだ。改善するどころか年を追う毎に出発日を遅らせるに至るや、もはや意図的に行なってることは間違いあるまい。
自分なりに調べてみて、多くの人が
『彼は最初から登る気が無い』
と指摘しているのを目にしたが、俺もその結論に至った。

冒険家と言うのは無鉄砲でイケイケな人が少なくないと思うのだが、栗城さんは逆に、どこか弱々しい。それが母性本能を刺激するのだろうか。俺は母親になったことがないから解らないんだけど。
162cmという小さな体躯で強大な壁に挑む。そして跳ね返される。そんな姿が人々の応援を呼び集めるのかもしれない。
であれば、壁は高く厚い方が好都合だ。低いハードルであれば『なぜ越えられないのか?』と突っ込まれるかもしれないが、跳ね返されるその壁が大きければ大きい程、周囲も『仕方がない』と納得するだろうし、そこから同情や応援も生まれるのだろう。
だから栗城さんは安易な道を選ぶことができなかったのだと思う。
暖かくなり始める春に、酸素を使い、仲間と協力し合い、簡単なルートで、たっぷり時間をかけて充分な高地順応し、そこまでして登れなかったとしたら、化けの皮が剥がれてしまうからだ。実は大したこと無いんじゃね?と。
しかし登れない限りこの挑戦を続けることができる。そして下山後
『これは単なる登山だけではなく「冒険の共有」という、挑戦における失敗や挫折を共有して、自分と同じように見えない山に向かっている人達にエールを送り、否定の壁を乗り越えるのが最終目的です』
とし、『撤退する勇気』とか『失敗を恐れずそこから学ぶこと』などと強調し、撤退する為の言い訳を最初から用意してるのだ。
話だけはとにかくかっこ良く作り上げ、それでお金を儲ける毎回同じ方法である。
逆に登頂してしまったら次は更に高いハードルを用意しなければならない為、栗城さんにとっては登れない方が都合が良く、だからこそ毎回あの手この手で登頂を断念せざるを得ない状況に持って行ったのだろう。

当初は結構有名な会社もスポンサーについていた。『ニトリ』の似鳥(にたとり)社長は登山に理解のある人らしく、同じ北海道出身ってこともあってか、比較的早い段階から栗城さんをサポートしていた。しかし2011年9月8日放送のカンブリア宮殿で、栗城さんと似鳥社長が共演した際の会話で…

似鳥 「何月にやるの?エベレスト」
栗城 「エベレスト登頂はですね、10月の上旬になりますので」
似鳥 「あーもう、すぐ行ったほうがいいよ、あー」 (栗城が話すのを手でけん制)
栗城 「8月の二十何日から・・・」
似鳥 「もう、早く行かないと駄目よ、行ってあっちで暮らしなさいって」
栗城 「分かりました…」
似鳥 「もう日本に帰ってくるんじゃないって、駄目だって」

と急かしてた。栗城さんがなんだかんだと言い訳を始めるとそれを手で制し『君の言い訳はもう聞きたくない』とばかりに苛立ってる様だった。多分それまでにも何度となく同じ様なやりとりがあったであろうことが容易に想像できる。似鳥社長は本気で応援してたからこそ真剣に助言したのだろう。そして、援助を打ち切るのもまた早かった。栗城さんの言動を真剣に見ていれば、誰でもすぐに気が付いたことだろう。登山関係者たちは当然ながら早々に気付き、次々とツッコミを入れていたが、圧倒的多数を占める我々山の素人たちにはそれが理解できなかったし、理解しようともしていなかった。

■竹内洋岳(日本人初の8000メートル峰全14座の登頂者)
『恐らく、この栗城さん自身は「単独」とか「無酸素」とかの意味をそこまで深くは考えていなかったのかもね。 
たぶん、彼の周りにいる大人がなにか「美味しい都合」で、いろいろ脚色したんじゃないかな?』 



■山田淳(七大陸最高峰の元最年少登頂記録保持者)
『NHKも、おいおいちょっと待てよ、って思わなかったのかなぁ。不思議です』 



■服部文祥(サバイバル登山家、山岳雑誌「岳人」編集者)
『栗城君は全然駄目。市民ランナー的で登山家としては3.5流 俺よりも下。 
登山家じゃない。登山家をかたると本当に登山を目指した人に失礼』 



■登山専門誌「山と渓谷」2012年3月号 
『彼は「単独・無酸素」を強調するが、実際の登山はその言葉に値しないのではないかと思う。 
一般の人たちにヒマラヤ登山を正しく理解してもらうためには、もう少し厳密な情報発信が必要なのではないか』 



■加藤文太郎(日本の単独行の草分け)
『世には往々ほんの僅かな苦しみにもたえず周章狼狽、意気泪喪して敗北しながら、
意思の薄弱なのを棚に上げ、山の脅威や退却の困難を説き、適当な時期に引揚げたなどと自賛し、登山に成功したのよりも偉大なことごとく言う人がいる』



■近藤謙司(国際山岳ガイド、エベレスト8回登頂)
『勉強しないのにお金をもらって東大を受け続けているようなもんだ…』 



■森山憲一(登山ライター、ブログ・森山編集所)
『判断はずっと保留してきました。ただしそろそろひとこと言いたい。さすがにひどすぎるんじゃないかと。
どうしても看過できない嘘は、彼は本当は登るつもりがないのに「登頂チャレンジ」を謳っているところです』 



知恵袋のベストアンサーにもこんな一文があった(一部抜粋)

『私も以前は栗城君の挑戦は純粋に頑張っているなと思っていましたが、段々とちょっと違うなと気付き始めました。
テレビに出たり、エベレストで色々な企画をやること自体は何の問題もないと思いますし、それだけ資金のかかることをやろうと思えばスポンサーを集めて山に登ることだって、それも挑戦です。
ただ、彼の何が問題かというと、多くの方が言うような「単独で登っていると言いながら単独ではない」というのは、事実であってそれは単なる嫉妬ではなく、明確なマナー違反なのです。
登山というのは言ってみればルールのないスポーツのようなもので、「誰でも、好きなように」登っていいのです。野球やサッカーのようなルールブックがあるわけでもなく、「マナー」に多くの場合において支配される世界です。だから、栗城君だって自分の好きなように登ればいいわけです。
マナーというのは、「倫理観」であったり「過去の先人が作り上げてきた行動規範」ですよね。
「単独」に関してなぜ批判があるかといえば、通常、エベレストに単独で登るというのは、「ベースキャンプから自分ひとりでルート工作や荷揚げも行い、自分一人で登頂して一人でベースキャンプまで降りてくる」という、概念があります。
それは別に、どこかのルールブックに記載されているわけでもなく、公式機関で認定されたルールでもありません。過去数十年の登山の歴史の中で、「これこそが単独登山である」という、多くの人たちの挑戦のなかで出来上がった概念であり、「単独登山」をうたうのであればそれを守るのがマナーなのです。
しかし、彼の場合はそのマナーを守っていません。
「単独登頂」という言い方をしているようですが、つまりはベースキャンプから遥か上まで登った最終キャンプあたりまではシェルパや仲間がルート工作、荷揚げを行い、本人は最終キャンプから山頂までを一人で登る、という手法な訳です。山頂直下までは皆でワッショイワッショイ持ち上げて、最後だけ一人で登ったところで、それでも「単独」で「登頂」しているという日本語に嘘はないですよね。
「単独登頂」と初めからうたっているんだから、別にいいじゃないか、と言う意見があるとすれば、そもそも登山で「単独」ということをうたうのであれば「ベースキャンプから1人で登って、1人で降りてくる単独登山」が当たり前のことであって、世間を欺くかのような「単独登頂」という言葉遊びがマナー違反なのです。
彼が異端児で、今までにないタイプの登山家なので周囲が嫉妬している、などとも言われますが、異端なら異端なりに自分の道だけでやればいいのですが、そこに過去の歴史の中で出来上がった概念である「単独」「無酸素」「七大陸」を持ちこんで、アピールできる看板だけ登山の世界に出来上がっているものを利用していることに、多くの登山家が呆れているのです。
栗城君がやっているという、8000m峰の無酸素単独登山が、本当に登山のマナーに則った手法で遂行されて達成されているならば、登山の専門誌などでもっと注目されて取り上げられます。しかし、彼はほとんど取り上げられることはありません。正直なところ、専門家たちは栗城君とはなるべく関わらないようにしておこうという風潮です。それは、嫉妬なんていう陳腐なものではなくて、「怒り」が理由の多くを占めているからです。これまでの登山の歴史から産み出された概念を無視しながら、ときに自分の都合のよい部分だけを利用しながら世間に誤解を与えているという怒りです。

栗城君自身が勉強不足で、そのようなマナーのことも分からずにガムシャラにやっているとしたら、それは周囲にいる人が教えてあげなくてはいけないことです。
人間的にどうかとか、テレビがやらせっぽいとか、そんなことはどうでもいいことです。見る人の取り方一つですから。
彼の番組を見て、感動して頑張る気持ちがわいたとか、それはそう思えればいいのです。
登山とはマナーと信頼のもとに成り立っているルールのないスポーツであり、言葉に嘘があってはいけません。世間をごまかすような言葉遊びも認められません。
「単独」という問題以外にも、ここではスペース上書ききれないことがたくさんあるのですよ。
栗城君の場合は、今現在は持ち上げられていますが、もしも将来持ち上げた神輿を地面に叩き落とすようなマスコミお得意の手法の餌食になった時、突っ込まれるネタが多過ぎます。
今ここで「彼を純粋に応援する」と宣言する人たちは、栗城君が週刊誌あたりで叩かれたとしても、手のひらを返さずに応援してあげてください。

栗城君が一生懸命に、一つのことに挑戦しているという事実は嘘ではないのだし、人間的にもいいヤツでしょうから。
ただちょっと、色々と足りないだけです。

7大陸の最高峰で無酸素に価値があるのは今やエベレストだけなのに世間が知らないと思ってさもすごそうに宣伝しすぎじゃないの?
あれだけの遠征隊を組んで、BCから無線で指示受けまくりなのに、単独と言うのはどうなの?
の2点が代表的な様です』

他にも色々あったけど、この回答者の一文は的を得てると感じた。
登山というのは人類の挑戦の歴史であり、多くの犠牲を乗り越えて築き上げられた世界である。そこで成し遂げられた先人達の功績が、『単独行』であり『無酸素』や『7大陸』だ。それらの看板は血と汗によって作り上げられたモノであるのだが、栗城さんは世間にアピールするのに絶好なそれらの単語を利用しているだけなのだ。
命をかけて成し遂げたからこそ『単独』や『無酸素』は世間から賞賛される訳だ。栗城さんは単独ではないし無酸素でもない。それでいながらその看板だけを掲げて世間にアピールする。無知な我々大衆はもてはやす。これでは命を削って山に登ってる人達はおもしろくないのは当たり前だ。

『「単独無酸素」に関しては、やってもいないのに公言するのは「文化的横領」である。単独も無酸素も、我々登山者が創り上げてきた文化である。その文化に敬意を持たずに、売名に使うとしたら、命懸けでその文化を創ってきた我々登山者に対する冒涜になる』
名前は判らないが、有名な登山家の血の叫びと言ったところか。



後は2ちゃんねるなどの書き込みを幾つか。
揶揄する様な一文が多いが、中には鋭い指摘もあった。

『ほぼ毎回事故ってたんだな。シェルパ付の単独もどきでもド素人がやるとこうなると、本物の単独登山家たちの凄さを逆説的に栗城が証明した形に』

『下山すること風の如く 
お知らせ放置すること林の如く 
怪我自慢すること火の如く 
話を盛ること山の如し』

『嘘に嘘を重ね続けた結果の現在の彼を取り巻く状況でしょ。
大きな法螺ふいて生活の糧を得る。
世間に顔を売ってるから逃げ道が見えない。
怠惰に過ごしてしまった時間は戻らない。
指9本失って日々不便極まりない。
人生が、法螺吹き始めた時に思ってたより長いことに気付いた。
生きる気力を少なくなってって、1人でいる時は死んでもいいかなと思える状況だったでしょ。
直ぐにじゃなく20年後のボロアパートの一室で孤独死みたいに想定してたかもだが』

『登山の専門家は口を揃え無謀だと言い続ける中、完全無視を決め込み更に他の登山家を中傷することまでありました。
彼は登山家ではなかったが、とても演説の上手い人たらしであった。自分の周りをイエスマンで固め、彼が演説し周りが助長する。
周りを固めていたのは中途半端な登山家が多かったのでしょう。
そして無謀な挑戦は、時として興行になりえます。そこに目を付けたスポンサーは、失敗しようが宣伝になるので彼に「賛同」します。100%無理な挑戦ですから8回も失敗するのです。
イエスマンしかいない、他人の意見はきかないのでやり方を変えず、仲間のカメラマンを失い、自分を3回も救助してくれたシェルパを死なせ、指を失い、自身の命を失ったのです。
そうなるまで止めてくれる人が周りにいなかった。無謀な挑戦を無謀じゃなく魅せるカリスマ性があったのでしょう。
彼はエンターテイナーとして純粋であったように思う。
一般的な登山の世界とは定義が違っても、彼は人々に山のロマンをダイナミックに伝えたという点でパイオニアだ。
ノーマルルートでいいし、ガイドがついていてもいい。人々は彼の登山能力じゃなくて発信力に惹かれているのだから。でも、一般的な登山の世界でも認められたいと思ってしまったのだろうか。登山家としても一流として見られたいと思ってしまったのだろうか。
彼のファンは、山を知らない人々なのだから、本当はそんなこと大したことではないのに』

『自己顕示欲が彼を狂わせてしまったのだろうか。
エンターテイナーという充分な才能があるのに、もっと才能があるように見せたかったのだろうか。
自分のモノサシで優秀な自分を目指せばいいのに、世間のモノサシでも優秀な自分でありたいと思ってしまったのか。
こういった心理は、彼特有のものではなく、誰しもの心の中にも多かれ少なかれあるように思う。
彼の行動は愚かかもしれない。
でもわたしは”バカだ、愚かだ”とはとても言えない』



最後に、大学の恩師らしき人のつぶやき。俺はこの一文を読んで、『あぁクリキってこういう人なのか』と痛感した。

ONO TOSHIKAZUさんのツイッター
『栗城君もかよ。
大震災の時にやりとりした以降、連絡してなかったなあ。
ひどい目にも遭わされたけれど、それ以上に得るものがあったよ。
訳わからんけどあれだけ面白い教え子は出てこないだろうな。
悲しいね。

一番最初に栗城君に会ったのは、変な噂のあとだったと思う。

初対面の女の子に次々とそこいらの石をプレゼントしている変な学生がいるって噂。それってペンギンの求愛行動じゃないか。

もう一つは地元の農作物を札幌の三越前で売りたいと教授たちに何度も熱心に相談に来る学生の噂。

その後学祭で、顧問をしてたDJサークルのブースでブレイクダンスサークルが踊るので段ボールを貼っていたら、無関係のTシャツの男がたたっと来て、いきなりバックスピンを決めた。歓声が上がった。なぜかタイガーマスクの覆面を被ってた。背中血だらけ。バカ?

そのバカが栗城君だった。

タイガーマスクはそのままどこかに消えてしまったので、あの阿呆は誰だって聞いたらクリキだって言う。ペンギンの求愛行動をやっているのも、三越前で農作物売っているのもみんなクリキだった。そのあと学内で捕獲してすぐに仲良くなった。まわりにいる学生もみないい感じのバカだった。

後夜祭でオレの研究室のPCとプロジェクターを勝手に抜いて校舎の壁に謎の映像を投射したり、先輩の卒業式にドテラと一升瓶もって乱入しようとしたり、翌年の卒業式には研ナオコの真似だかで勝手に100キロ先からマラソンやり始めたり、大学中退したくせに5日間で戻ってきたりほんと訳わからなかった。

本当にギャグ漫画のキャラみたいな男だった。せんせいお世話になってますから今日はおごりますって飲み会誘ってきてさ、最後の最後でお財布カラッポでしたおごってくださいとか、学園祭のときにアフロにグラサンのフンドシで犬小屋で作った神輿に担がれてロケット花火を撒いたり、あるとき、いきなり「マッキンリーに登りに行きます うふふ 今入山許可願のメールを送るところなんですよ」と英文を見せられた。何だこりゃクリキイズネームとかそんなレベル。当時のexcite翻訳にペーストしただけ。

スルーしてたら目の前でそのままメールを送ってしまった。ダメだこりゃ。

みな、添削して許可が下りてもヤバイからスルーしてたと思う。
その後、「返事来ました〜。入山許可下りました うふふ」と嬉しそうに紙を持ってきて、英語読めないのに何で許可だってわかるんだよって突っ込んだら、「NOTって字が文章にありません」ってえばっていた。
本当に入山許可だった。

世の中には本当にとんでもない外れ値の人がいて、そういうベラボウな人を常人のものさしで測っちゃいけない。ただ仰ぐのみ。そう思ったつもりがずいぶんと巻き込まれた。でも最高に面白かった。
栗城君、今頃、三途の川あたりで六文銭忘れましたって仲間とシンクロとかやってそうだ。
でもこういう後先考えない馬鹿が切り開くのも事実なんだよな
たとえ死んだとしても』



この人に関して言えばファンよりアンチの方がまともだった

エスパー伊藤のマジックみたいなものだよ
客も失敗するの解ってて見るべき芸

by 2ちゃんねる



mixiには相当数の日記をアップしているが、今回の日記は書き上げるまでにかかった時間が、ダントツで過去1位となった。おかげで書きかけの日記は長らく放置となり、その間に行われた格闘技の観戦レビューも軒並み中断となった。それだけ書くべきことが多かった。調べれば調べる程、次から次へとネタが出て来たのだ。
途中、結局毎回同じことの繰り返しだと気が付いたが、書きかけの膨大な文章を消すのも忍びなく、どうにか書き終えた次第。
死人に鞭打つ様な行為もどうかと考えたこともあったが、逆に言えば『死ねば全てがチャラになる』なんてことが許されていいはずがないとも思う。
今回の日記を書くきっかけの1つは、
『登山しながら動画配信してたクリキって人が死んじゃったね』という知人との何気無い会話だった。そういう若者がいるらしい、程度の認識だった彼は、
『夢を追う若者が非業の死』みたいな論調のニュースを目にしていた様だったので、俺がやんわりと『なんか色々問題ある人だったらしいね』と探りを入れると少し驚いた様だった。
やはり興味を持たない人達には『凄い人』との認識が定着してるのだなと実感し、知ってる人は知ってることを伝える義務があるのかなと思い、一筆したためた次第。
もちろん俺が書いたこの一文が全て事実だとも思ってないし、もし違うことを知ってる人がいれば是非教えて欲しいところである。
少なくとも俺が知ってること(調べたこと)は以上である。

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