mixiユーザー(id:12769995)

2018年08月10日02:06

116 view

自然を考える。

 バルーフ・デ・スピノザの1670年の「神学政治論」は、大きな反響をもって迎えられました。その自然主義的無神論は、キリスト教徒には、信仰の神秘を信じさせ、聖書理解では、正しい理性のものである確固とした証においては、神秘を常に虚言であるとしました。これは、マホメット主義やソッツィー二派の理神論と同じことです。
 ライプニッツは神学的にもキリスト教徒にも納得できる哲学を展開します。彼が哲学をする理由は、何が将来の自分を平穏たらしむだろうか、という問いから発しています。それは精神の平安を求める哲学です。
 共可能的世界から固体概念へ、seriesの自己展開へと進みます。最善律は神の計画です。
 神は不可分割ですが、非延長的なものは、神の思惟です。このようにすべては適合性によって産出され得ます。
 宇宙を見て見ましょう。丸い円を思い浮かべて下さい。直径を4等分します。それぞれ、sinΘ、cosΘ、tanΘによって可動するとします。そうすれば、エーテルの渦動説のように、天体が可動します。これはデカルトの永久運動と同じ理論です。
 カルダーノの定理を使って事物を無限に産出する数学の理論を作りあげることも可能です。
 例えば、マルブランシュは、四角形を分解して、二つの部分に分けます。片方の四角形だけで全体を理解できると彼は考えます。なぜなら、もともとあった四角形の部分だからです。でも、これでは神は分割可能となってしまいます。そこで、考えてたのが、運動の理論です。運動は衝突するれば離れて行き、弾性でもって跳ね返ります。つまり、神の思惟を運動の理論に当てはめて、離れては、近づきを繰り返します。これは、運動の理論からすれば、変化の法則です。
 変化とは同一のものが、多様に変化することです。このようにして、神から分離した様態は自然と、因果の法則のもとに置かれます。つまり神から分離するのです。同一量が保存されるというとは、宇宙の運動法則が、一定に保たれることです。ライプニッツは、これに反発します。何故なら、力の原理を彼が用いるからです。力の原理とは、弾性で、運動が反発して、離れていく理論です。これに従えば、この世には硬い物質がないことになります。そこで登場するのがエーテルです。エーテルは流動体のように、宇宙を旋回しています。そこに惑星があるとします。水の中を動く魚のように、惑星は弾性によって、軌道を運行します。
 重力や引力などは、「隠れた性質」といって、エーテルの役割をします。このように、惑星運動は、渦動説によって、動かされていると17世紀の人は考えたのです。このような研究は、コペルニクス・ガリレオによって引き継がれ、およそ、神学と融合する役割を担ったのです。
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2018年08月>
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 

最近の日記

もっと見る