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2018年08月03日01:54

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スピノザと自然

 神(実体)の存在(extensia)は、まったく自由に知性認識します。つまり数学的にすべてを産出します。産出されたものは様態(modous)の存在(existensia)として、存在を含まず、すべてのものは、神において存在し、神において動かされます。
 神はア・プリオリな原因として、その本性にふさわしいものを産出します。神の叡智はイエス・キリストによって、最大限の現れを示したのです。神は概念を思惟します。持続(ens rationes)は理性の有と想像の祖力(imaganation auxilium)を生み出します。
 自然の力(vis)と力能(potentia)は自然的原因によって、神の叡智と神の業と力と表現します。能産的自然とは神の絶対的諸属性を表し、所産的自然は様態化を表します。神は知性も意志も持たないので、あることなんでも産出してしまいます。
 思惟+延長属性というのは、神の属性を含んでいる証拠です。結果として、神は自然形態を形成します。しかし、神と自然とは同一のものではありません。なぜなら、神は概念を思惟するだけで、結果として自然を造るからです。
 あることなんでも産出してしまうということは、すべてのものを産出するというこです。つまりすべてのものが祝福されるわけではありません。悪人だけが不幸になります。情欲・他の虚弱さを抑制できない者は必然的に滅びます。人間とは、神の面前において同じ魂からあるときはとおとい器、あるときはいやしい器を造る陶工の権能における土くれのように、神そのものの権能にあります。
 奇蹟はすでにすべてが永遠からある一定の時間に、諸原因の「協働」だけで驚くべきことが生じます。これは神があらかじめ秩序づけているからです。
 永遠とは無限の享楽であり、与えうる数を超えるようなものが多くあります。これは部分の多さではありません。というのも神は唯一だからです。固体はこれ以上ない、なぜこれ以上ないかと言えば、神が思惟するものが無際限に思惟するからです。神は唯一ですが、産出されたものは部分として分割できます。しかしながら、両立可能なもの=非AとAとは産出できません。
 神は無限の属性で多様な本質・述語(series)を産出します。神の啓示は、イエス・キリストにおいて最大限現れましたが、神は内在原因であって超越原因ではありません。
図式化すると、円が世界で、中心点が神です。この周りをぐるぐる回っているのが作用因です。作用因はすべての原基です。このようにして、神は自然を創造したということになります。
 つまり神の概念(コンセプト)とは自然なのです。
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