慎んで桂歌丸さんのご冥福をお祈りいたします。
この人は若いころから頭髪が薄かったせいか、私がものごころついて「笑点」を茶の間でみていたときから、おじいちゃんのイメージでした。うちの父と同年輩だったとは、「笑点」の司会者におなりになったころに初めて知りました。
この方には、数々の名言があります。
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薄情な人間には薄情な落語しかできない。人情味のある人だから、人情味のある芸ができる。まさに「芸は人なり」なんです。
古典とはいえ、変えていいものもある。省いていいものもある。現代に通じるものを入れなくちゃいけない場合もあります。でも、どうやっても直しちゃいけない言葉もあるんです。
ある種、いい加減にやることは必要。いい加減は「良い加減」ですからね。
私たちがいちばんこしらえなきゃいけないもの、これは『間』です。早く自分の間をこしらえた人が勝ちですね。同じ噺をやっても、お客様に受ける人と、まるで受けない人がいる。どこに違いがあるかというと、間なんですよ。間以外に何もない
噺をきくと、道徳、修身を悟ることがある。
日本語を使って笑わせるのが、芸。
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小説などとは違って、落語は、ネイティブでないと心底笑えないものだと思います。
なぜか。間と
人情(愛情や利他心だけではなく、市井の人の悲喜こもごもの情動。。
たとえば、「怖いから、合格発表の掲示板を見に行きたくないというのは、人情だ。」など)
がしからしめるものなのですね。
昔、その国独自の文化は、普遍性がないから価値が低いのか、特殊であるからこそ価値が高いのかと考えたことがあります。
今にして思うと、それは馬鹿げた問題設定ですし、普遍ー特殊という二項対立が、グラディーションを描くようにして、あるはずはないです。
そして、人情と言葉が結びついているように、各パーツは緊密に結びついています。
標準語は、落語を参考にして成立しました。
二葉亭四迷は、三遊亭園朝の噺を基本にしました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E9%81%8A%E4%BA%AD%E5%9C%93%E6%9C%9D
これこれという助動詞は、圓朝が使ったのなんの…という国語学の論文を読むまでもなく、歌丸さんは、肌で日本独自の表現の機微、人情の機微、間合いと、それらの緊密な関係を理解していた噺家だと思われます。
歌丸さんが、横浜出身だと聞いて、こころから納得です。
浜っ子には、勉強しなくても本質が学者よりもつかめている人が、しばしばいます。
歌丸さんは、そのタイプでしょう。
改めてご冥福を心よりお祈りいたします。
落語家の桂歌丸さん死去 81歳
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=5181907
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