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2018年06月29日08:18

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六月病

医療産業をマーケティングするため、あえてねつ造しているのでは?と訝ってしまうように、次々と新たな疾患やらというのが話題になる。その多くは精神疾患。この季節では6月病というのがあるらしい。5月病というのはよくきく。新入社員や転勤、転職労働者が新たな環境に適応できず、うつになってしまうもの。6月病はその発生時期がちょっとずれ込んだバージョンらしい。もともと5月であった理由は、環境が変化した直後はなにかと立て込んでいて萎えている時間もないのだが、新人研修やらが終了し、落ち着いて自分の置かれた状況を考えるのがその時期。挙げ句悩んでしまうのだが、最近は、新人を育てるのにじっくりと金とさく会社が増えた、または、売り手市場でやっとのこと捕まえた新入社員を離したくないからと長期間拘留メンテする傾向があるらしい。ということで5月いっぱい6月中旬まで、落ち着くことなく、以前5月に起こっていたうつが6月に発生するらしい。

もちろん、新入社員ではなく、おかれている状況もここ数年かわりばえしない。会社でのポジションは安定しているとはいえないが、会社自体がなっくなってしまということも考えづらい。にもかかわらず、憂鬱だ。まあ夏は暑くて、秋は思慮深くなり、年末は忙しく、冬は寒いから、ということで、その昔流行ったという「酒がのめるゾ−」なる、1年中季節折々の理由をつけて酒を飲む歌の歌詞のように、何らかの理由をつけてブルーになっている。風邪を引きやすい体質のように、定期的に調子を崩すことにより、調整しているのかも知れない。トカゲのしっぽのように、世の中には消滅、なくなることによって、なくならない全体に貢献している部分というのがある。そういう部位やらというのはもともと遺伝子的な情報のなかに、なくなることを組み込まれているらしい。憂鬱になるということは同じコトなのだろうか。

とはいえ、あまりにも気分がはれない時期が頻繁だったり長期化すると、まるで世の中という全体に対して、自分という部分事態が消滅することを宿命づけられているのではないかとも思う。まあ万人はいつか死ぬ存在なので、それは皆同じ、皆死ぬ。にしても、どうせ居なくなるのなら、居なくなるその瞬間まで「居なくなるのではないか」「居なくてもいいのではないか」と苛まれたくないものだ。が、それらは、前述のごとく、なにかと理由をつけてやってきて、気持ちを根こそぎ捉えていく。巷にはそんなネガティブな発想を克服、ないし逃れるために、さまざまな書籍やら、アクティビティーというのが出版されている。それらのいくつかを試したことがあるのだが、決定的には変わらない。書籍やらというのが溢れているというのは、それだけ思い悩んでいる人が多いということであり、それだけ治らないということなのだろう。

ちなみに6月病の5月病との違いには、5月病の状況に加えて、季節の過ごしづらというのがあるらしい。ムシムシして不快であるため、よりうつになると。個人的にこの季節、若葉のころや本格的な夏にくらべ気温も低く、かつ、たわわな湿潤をいだいたしっとりとした空気の感じは嫌いではない。また、抱きすぎた湿りにもだいているような複雑で濃い曇天の景色は美しく。ちからづよい緑とのコントラストもすばらしい。そもそも、劇的な自然現象、雨は自分の好むところ。それを連れてくる景色、季節、というのは待ちわびる、ほどではないが味わい深い。そしてなにしろ、始まりと終わりがはっきりしており、国として宣言される。特にその始まりと終わりの劇的というのが時間の有限さを指し示し、感慨深くなる。まあ、それが酷くなると6月病なんかもしれんが。

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