歳を取ると見栄えが衰える。
視界に入るだけでも不快に思われるようになる。
人間は外見で人を判断する。
若い異性は視界に入ったときに心地よいかあるいは性的興奮を引き起こす。
若い同性は視界に入ったときに性的興奮は引き起こさないが、いっしょに遊びたいワクワク感を引き起こす。
幼い子供が視界に入ったときはかわいらしくて癒される
若くない人間は個人差はあるが心地よくない。不快である。これはきっと人間の本能に書き込まれていることなんだと思う。
本能レベルでは他人を許すかどうかの判断基準は言動の正しさではない。
視界に入ったときに心地よいか不快か。つまり見栄えがいいかどうか。
極論したら見栄えが良ければ殺人しても許されるが、見栄えが悪ければ何にもしてなくても「裁かれる」。本能をすべて正当化してしまえばつまりこういうことである。
だが人間は理性で規範をつくってそれを社会全体で運用している。
理性が介在し、他人を「本能」だけで「裁いて」はいけないと互いに共通認識を持つに至っている。
だが、理性ではわかっていても人間の「本能」はいろんなときに顔を出す。
ストレスが高いとき、自己保身に必死なときなど・・・
人間が年を取るにつれて賢者はヒトの「本能」の特性を理解し、自己保身のために情を売って自分を受け入れてくれる人間を周囲につくろうとする。
それが結婚であり家族であり友達や弟子なんだと思う。
考えてみれば人間は「情」と「本能」と理性をもった複雑であるがときに単純な生物だと思う。生きていくうちに「それ」の本質をだれもが把握し、一方で、一生かかっても理解できないほど複雑な存在なんだと思う。
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