今回はストックネタです。
仕事で時々、倉敷駅周辺を訪れる事がある。
その際に時間調整で倉敷美観地区に立ち寄るので「阿智神社」の話題をひとつ提供しよう。
まず「阿智神社」とは・・
倉敷の古名は「阿知」であり、倉敷総鎮守の神社で倉敷美観地区すぐ真北の小高い鶴形山の山頂に鎮座している。
この神社は地元の方には馴染深く、美観地区はこの神社の門前町として栄えたと言う。
さて先日、美観地区を散策中にボランティアガイドの人に『アレは灯台ですよ』と言われた。
それは「阿智神社」境内に見える燈籠の事だった。
さっそく現地に行って確かめてみよう。
・左画像
「阿智神社の高燈篭」
周囲は鶴形山の木々に覆われ分かりずらいが、高台に燈籠が視認できる。
手前右のレンガ壁は倉敷紡績工場跡(アイビースクェア)
実は古来この一帯は“吉備の穴海”と称され、内海深く湾入し、社地は「内亀島」(鶴形島)という小島であったようだ。
また、この周辺は海運の要衝であり、海上交通の守護神・宗像三女神を祀って航海の安全を祈願していた。
その後、この辺りぱ江戸時代初期に埋め立てて陸地になっている。
・中、右画像
「絵馬殿の隣に建つ高燈籠」
足場は立派な石垣で構築されている。
しかし、この高燈篭は、かつては倉敷川畔の中橋付近にあったとの記述をみつけた。
「阿智神社」が貿易の守護神として船人の信仰を集めていたことから、奉納灯として現在の場所へ移設したと言うのだ。
そうなると内亀島の“灯台説”が違う事になる。
どちらが正解なのだろうか?
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