ヒデキ(西城秀樹)、その声も歌も姿も、バーモントカレーやジャワカレーまで、大大大好きだった。
スターが亡くなってこんなに泣いたのは、9年前のマイケル・ジャクソンのとき以来だ。
えーん。 。・゚゚・(>_<;)・゚゚・。
そしたら、朝丘雪路さんも死んじゃったって。
五月は、友人たちの命日(昇天日)が続くから、ただでさえ淋しいのにな . . . 。
そんなとき、マイミクのVさんが雪路さんのことをつぶやいていた。
「まあ、一言で言えばかぐや姫みたいな人だったよね。すべてを忘れて月へ帰っちゃうなんてね。実際こんな人だったかもしれないよね。かぐや姫が実在したとしたら . . . 」
(そう、浮き世離れしていて、かぐや姫。ほんとうにそうね)
泣いたカラス、すこし笑った。ありがとう。
同じ頃、別のお友だちが、マルタ・アルゲリッチのコンサートのことを書いていて、そこにも、「魔女の奏でる音楽」だとか、それはもうすてきな喩えがいっぱいあって、
(ああ、そうね、ほんとうにそうね)と何度もうなずいて、うれしくなった。
わたしは、”言い得て妙”な表現がたまらなく好きだ。
たゆたう思いを固定してくれるような文章や言葉に出合うと、それだけで胸がいっぱいになって、涙があふれてくる。
(ああ、そうね、ほんとうにそうね)と感じるために、本を読んだり人と話したりしている、と言ってもおそらく過言ではない。
「幸福というのは、わきたつ感情が心の中に落ちつき場所を見つけること」とは、カニグズバーグの言葉だけれども、そのとおりだと思う。
わたしの場合、そのわきたつ感情にぴったりの表現を見つけることが、落ち着き場所を見つけ、幸福感を得ることに繋がっているんだろう。
だから、たとえば、ひどい失恋をして、悲しくて苦しくて仕方がないようなときでも、その状態にぴったりの歌なり言葉なりが見つけられたら、その瞬間は、幸福なんだな、すごーく。
わたしの人生において、失意のどん底にあってなおうれしくて幸せ、というユーモラスな怪奇現象がたびたび起こるのは、そんなわけなのだ。
もう、あちら側に会いたい人がいっぱい . . . 。
だけど、わたしは、もうすこしこっち側で、
日々、(ああ、そうね、ほんとうにそうね)を見つけながら、やっていけたらいいな。そして、ときどきは、わたしの言葉や行いも、誰かの幸せの素になったらいいな。
心からそう願う。💕
'Happiness is excitement that has found a settling down place, but there is always a little corner that keeps flapping around.' -- E.L. Konigsburg
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