mixiユーザー(id:8729247)

2018年05月10日13:22

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移植医療の根底をゆるがす

移植とは、他人の臓器をもらうこと。
つまりその臓器の提供者ってもんがあるわけだ。
相手が死人出ないなら、その臓器を取り出すのもリスクがある。
そして受け取るがわでも「拒絶反応」というリスクがある。
どっちのリスクも軽くはない、命に関わることもある。
だから移植医療の基本的な考え方は
「その移植をしないと命に関わる」場合だけ行う」ってことだ。
つまり「その臓器がないと生きられない」臓器に限ってのみ、これまでは行われてきた。

だから「それがなくても生きていける」臓器である子宮の移植ってのは
移植医療を行ってきた医療者にはたぶんすごく奇異な感じがすると思う。
「なんのために?」という気がすると思う。

実は自分もそう思う。
その子宮のもともとの持ち主に「借り腹」で生んでもらうのと
いったい何が違うわけ?

…実は違うのよね。
妊娠分娩そのものが命のリスクを伴うことなので、
「子宮をあげてもいいから妊娠分娩はしたくない」という人がいても変じゃないと思う。
しかも期間が10か月。3日で終わるならまだしもなぁ。
妊娠によるカラダの変化も(腹の皮がのびてたるむとか)いやな人はいただろうし。

それに多くの国でそうなんだけど、
「ある女性の子宮に入っている子はその子宮の持ち主の子」なんですよ、法律的に。
だから自分の卵子と夫の精子で受精卵を作って借り腹して生んでもらって、
子のDNA鑑定したら100%「子宮の持ち主の子でない」とわかるのに、
なぜだか一度は子宮の持ち主の子として扱われ、
その後自分の子を養子にするという、へんてこな手間がかかるわけ。

だったら子宮を自分の腹に移植してそこでこどもを育てようじゃないかと
考えたくなってもまあ、仕方ない。

ただ自分は産婦人科医として基本的には反対だ。
そこまでして「自分の子」を持ちたいというのは、単なる本能。
「食いたいから食った」「寝たいから寝た」「セックスしたいからした」のと変わりなし。
人間ならば、そのあたり、理性つーもんでどうにかならんのかね?
「食いたいけどもうじゅうぶん食べているからこのへんでやめておこう」
「寝たいけど会社に行かなきゃならないから起きよう」
「セックスしたいけど相手の同意がないからあきらめよう」
などなど。
自分の子宮で自分の子を持ちたいという本能だけは
周囲から優しく認めてもらえるなんてのは、おかしい。
しかも子宮をとられた人のリスク、移植された自分のリスク、
その子宮で妊娠できないとか妊娠できたけど死産だとか、
妊娠中に起きた病気で自分も子も死ぬとか、
そういう危険性がいっぱいの「子宮移植」を選択するってのは、
生殖医学上の興味ある実験(相手の同意あってラッキー)にしか見えない。

世の中には親がほしいみなしごさんたちがいっぱいいるんだよ。

■最先端の不妊治療、NHKクロ現が「子宮移植」テーマに放送 「自分で産みたいと考える女性は多いのでは」と丸岡いずみ
(キャリコネ - 05月10日 07:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=210&from=diary&id=5104234
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