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2018年05月10日09:03

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雨上がりの寝起き

久しぶりの晴れた朝。川っぺりの路を歩いて通勤してみた。天候が不順の時は空ばかり気にして、降ればカサを持たねばならず歩かねばならないなあなどと、歩くことをやたらネガティブに思っていた。河口にちかく河川敷が広い土手には野草が自生し、ところどころでどこから飛んできた、もしくは誰かが意図的に捲いた花々が咲き誇っている。黄色い花。具体的な名前はよくわからんが、咲き誇っている数は尋常ではない。調度海からのぼってくる太陽が逆光になり眩しい。雨上がりという光をストレートに通す空気間やら、土手に残っている湿潤やらが風景を明るくさせていた。

景色が綺麗に見えるのは、たっぷりと寝たからかもしれない。最近ちょっとつかれたなあ、といのと、この先しばらく休めないなあ、というので、昨夜はたっぷり寝ることにした。できればフタケタ=10時間以上寝ようと思い、早めに会社を後にした。とはいえ、状況が許したとはいえ身体というのは、はいそうですか、と簡単に受け入れてくれないらしい。結局11時くらいまでウダウダしていた、それでも6時30分過ぎくらいまで寝ていたので、7時間くらいは睡眠時間を確保したことになる。さて、世界の見栄えはよくなったが、身体、精神、己そのものにとっての影響は如何なものか。

いまのところ順調。あさいちでクソ役員から提出物のつまらん誤脱字を指摘され、ちょっと気分を害したが、内容より字の間違いくらいしか指摘できない矮小なヤツなんだと心の中で合理化し、こんな天気のいい日には採光がサイコーなオフィスで始業から打ちまくっている(作文している)。なかなかの滑り出し。今日はなんだか仕事がはかどるきがする。予定はガッツリつまっているのだが、詰まっているほど、こなせそうな感覚がある。←なんか変な表現だが、詰まっていても、こなしているヴィジュアルがイメージできる感じ。やれそう感が半端ない。記述のクソ役員も、袈裟の色が気に入らないと、普段は渾身怒りで練り上げられるような激しいネガティブ感情に苛まれるのだが、今日はうまく受け流している。やはり長時間睡眠の効果だろうか。

今日も早く帰る予定。昨日、睡眠時間確保のため飛ばしてしまった予定=洗濯をする。洗濯なんて洗濯もの入れてポッチっとするだけじゃないか?と言われそうなのだが、うちの洗濯機はそんなに賢くなく、設置されている場所も最悪=部屋に置き場が設定されていないため玄関においている。そのため全自動と銘打たれて(実際下っ腹の部分に全自動とかいてある)にもかかわらず、給水はバケツリレー。苦労はするが、苦労してあらった分、丁寧にきなければな、という気持ちを学ことができる。ちなみに本日最後の仕事は漁船出港の見送り。定期的に居合わせる仕事ではあるが、なんど立ち会っても感動的だ。一回でていくと1ヶ月くらい帰ってこれないのだが、戻ってこれない年月というのは漁の厳しさのひとつであり、毎日帰ってくるから簡単だということは勿論であり、そうやって採ってきていただいた魚を、木やらプラスチックやらの棒でこねくり回して食べるのだから、攻めて綺麗に残さずたべたいものだ。なるほど、これが冗長化というものだろうか、あえて負荷をかけることに知りうることというのは世界にはあり、それに気がつくための適度な休息というのは必要なことだろう。
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