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2018年04月15日09:41

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南郷の洗い堰

3月末 草津へ用で行きました。京都を過ぎると 記憶が蘇り、大学に入ってすぐあとの5月、クラス対抗ボート試合に出場志願し1ヶ月の練習に瀬田川のボート部合宿所へ行ったことを思い出しました。前日の夜、瀬田川駅をおりてつずら折りに湖畔へと下りる道を辿ったことなど。 さらに昔, 小学校5年生の遠足で”南郷の洗い堰”に行ったこと、堰の羽目板から勢いよく水が噴き出していたのを思い出しました。65年前!!の景色。石山駅で電車を降りてバスに乗り洗い堰へ。 みなさん知らないだろうから
https://www.shigabunka.net/archives/156
やウキペデイアの”南郷洗堰”の写真を見てください。それなりに感激します。
瀬田川を300メートルくらいの立派な可動堰が横切りその上が一般通行道になってます。
一つ一つが電動で上下する堰が15個くらいに列んでいる橋です。向こう岸に琵琶湖博物館(こういう風の名でちがってるような気もする、水の文化博物館だったかな)があるので見に行くことに。 すると いま渡って来た可動堰の少し上流に昔の木造の堰(いくつかの堰の列)があって、博物館側に5列、来たほうの川岸に3列が壊されずに保存してあるのに気づきました。
博物館の解説を読むと、電動堰は1961年にできたとのこと。遠足は1952年頃だから私が見たのは木の堰だった!! 堰板の上げ下げをする大きな歯車とハンドルの模型があり蝋人形の人夫がふんばって回している。この風景は見なかったけど、増水したときには、まだこのようにしてたのだろう。受付の方に65年ぶりに来たと言うと、このあいだも 堰の上げ下げをして働いていたという方が来ました、と言ってた。当時18歳としてぼくより8歳くらい年上か、など思う。新しい木の堰板を入れるときは水勢で曲がってしまい苦労した、ということ。
このあと、三井寺に行って有名な”晩鐘”の鐘を見ました(みいでらの晩鐘とミレーの晩鐘は似てるね)。三井寺の前の道は琵琶湖疎水の取り入れ口と知りました。南禅寺から蹴上の琵琶湖疎水出口は何度も訪ねたけど、ここは初めて! よかった。取水トンネルも明治洋風建築の枠でかっこいい。さらに上流の琵琶湖にぶつかるところには三高のマーク( 桜に3本白線)の入った朽ち果てた艇庫もありいとわびし。
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