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2018年04月08日23:02

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中山道歩き、歴史の重みを感じつつ歩く

3月27日(火)

新町〜倉賀野〜高崎

今日は高崎まで10キロちょっと歩くだけにした。
関東地方のスギ花粉で体調を崩してしまったからだ。
この地域は東海地方の何倍も花粉が飛散するそうだ。
日記の写真ではわからないだろうけど、前日はふらふらになっていた。

ホテルをチェックアウトぎりぎりの10時前に出る。

烏川に戻る。
旧道がわかりにくくて、行きつ戻りつして30分ぐらい住宅街をウロウロした。
よく通報されなかったものだ。
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倉賀野宿を過ぎたところにお寺があった。
安楽寺という。
本堂の後ろに古墳がある。
小さな円墳だ。
この中の石室部分に仏像が彫られて本尊になっている。
だから本堂と古墳が直結している。
通常は秘仏だけど、12年に一度だけ公開される。
次回は2025年の4月だ。
覚えていたら拝観に来てみよう。
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安楽寺から1キロほどのところに来た。
旧中山道は県道から外れて細い砂利道になっている。
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辿っていくと、すぐに民家の入口で行き止まりになっていた。
住宅の前の庭にある飛び石が旧中仙道だ。
乗り越えて入っていくと不法侵入だ。
残念だけど迂回する。
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ここの家の持ち主は気分がいいだろうなあ。
家の庭が中山道だからな。


13時前には高崎に着いてしまった。
高崎駅前の食堂でビールを飲んだりスタバでコーヒーを飲んだりゆっくりする。
今日は休憩の日だ。
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駅の中で時刻表を見てみた。
東京駅まで2000円、2時間で行けるのだ。
これまで4日間、一生懸命歩いてきたけど電車ならあっという間なんだ。

15時になったのでホテルにチェックイン。
駅の近くの「ビジネスホテルたきざわ」
旅館だった建物をリニューアルしてホテルにしたようなところだった。
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昼寝をして夜の高崎の街で酒を飲んだ。
高崎市役所と満開の桜が抒情をそそる。
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3月28日(水)

高崎〜板鼻〜安中

7時30分にチェックアウト。

次の宿場、板鼻へ行く途中に豊岡という茶屋跡を通った。
上級武士の休憩所だったところが「上豊岡の茶屋本陣」として残っている。
今は無料で建物を公開している。
まだ開館前だったので通り過ぎたら、すれ違いのおばちゃんに呼びとめられた。

「せっかくだから見ていけ」

ここに勤める係の人だった。
時間より30分前だけど扉を開いてくれた。
なんだか懐かしい建物で、おばちゃんも優しい人だった。
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旧中山道の沿道には石塔がたくさんある。
東京、埼玉に多かったのが庚申、不動明王、馬頭観音などだ。
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板鼻宿の手前で、初めて道祖神が立っていた。
ここから先、とくに長野県に入ると道祖神だらけになっていった。
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わたしはどうしてこんな道端に石碑や石仏があるのか不思議だった。
でも旧街道歩きをしてみて理解できた。
まず道しるべになる。
歩くところが間違ってないか確認できる。
それに、目に見えない何かに守られているような気がする。
「道祖神」「馬頭観音」というのを見ると、なんだか元気が出てくる。
無神論者のわたしでもそうだから江戸時代の人なんか心強かっただろうな。


板鼻宿に着いた。
本陣跡は公民館になっていた。
本陣というのは、その宿場でいちばん立派な建物だ。
大名や身分の高い人が宿泊したところ。

公民館の裏には和宮皇女が泊まった建物が残されていた。
和宮さんは孝明天皇の妹で、明治天皇の叔母さんになる。
公武合体のため江戸幕府第14代将軍・徳川家茂と結婚した。
お嫁入りのとき、京都から江戸まで中山道を通った。
1861年のことだ。
中山道では空前絶後の大行列だった。

11月10日、和宮皇女は板鼻宿の本陣に泊まった。
その夜に初潮を迎えた。
プライバシーもなにもあったものじゃないけど、世継ぎを残すためにいちばん重要なことだったのだ。

いまでは田舎の小さな資料館になっている。
こんな小さな部屋で和宮は一夜を過ごし、初めての生理を経験したのか。
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資料館には和宮が履いた草履も展示されていた。
小さなサイズだった。
なんだか痛々しい気持ちになってきた。
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和宮が中山道を旅してから17年後。
明治11年に、甥の明治天皇が東京から関西から北陸へ行幸した。
まだ鉄道が敷かれる前だ。
天皇は歩きや馬車で中山道を踏破した。
その足跡が旧街道のあちこちに残っている。
宿泊した、休憩をした、この井戸で水を飲んだなど。
ことあるごとに石碑がある。
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これらが建てられた年号を見ると、すべて昭和10年前後だ。
皇国ナショナリズムが盛んになってきたころだ。
こういうアホなことをしながら日本は戦争へ向かっていったのだ。


安中宿を過ぎて松井田宿の手前のビジネスホテルで泊まることにした。
国道18号沿いのレストランの裏がホテルだった。
夕食付きで頼んだら、国道沿いのレストランでの食事だった。
宿泊客は建設工事の仕事で出張に来ている人ばかり。
とても賑やかだった。
田舎のホテルだなあと実感する。
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つづく

ついでに情緒ある写真を数枚
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