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2018年03月30日07:47

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graduation

最近母親と話す機会がありたまたま聞いたのだが、大学の卒業式の挨拶で学長がこんなことをいっていたらしい「できることをひとつだけやればいい」。社会の荒波に蹴り出される劇的な儀式なので他イベントにくらべわりとその日のことは覚えているが、そういえばそんなことを言っていた気もする。あれもこれもやろうとせず、プライオリティーが高いものをやればいい。不安に打ち震えているカワイイ卒業生に掛けて優しいフレーズ。が、しかし今思えばその「ひとつだけ」というのだってやるのは難しい。

社会に出てみるとわかるということは多い。取り越し苦労だったということもあるのだが、多くは思っていた以上にヘビーである。前述のひとつだけ、にしてもそのひとつを選ぶことが難儀。プライオリティーってのは誰にとってなのか、自分にとって家族にとって会社にとって世界にとって。加えていうと、ヒトは楽にななるためにあえてそのはいプライオリティーなひとつをやらないでいることがある。簡単なことに従事しては、また、大して重要ではないのに達成が難しいタスクに身を歿して気持ち良くなったり。

とここまで書いて思い出した。そういえば「やればいい」の目的語は「できること」だった。やるべきこと、ではなく、できがいい=向いていることでもなく、やれること。いや違うな、個々人の可能性を含めたできることということ、という意味だろうか。よくわからない。いちばん楽な、「やれること」解釈してたとしても、それはそれで精神的に辛い気がする。結局のところ世間の辛さからは逃れられないのだろう。辛いから楽しく、というほどポジにはなれないし、気持ちいいというほどマニアになれない。

卒業間近の追い出し文言として印象に残っているのが、たしか最終授業日、犯罪者にどんな刑罰を与えると世の中は良くなるかという...そんなことを考えなきゃいけないヒトもいるんだろうな、というカリキュラムの終了まぎわに講師ががいったこと。社会人になったら毎日手帳に疑問に思ったことを書いて行くといい、らしい。社会に身を晒していくうち、その答がわかれば消してゆく。そのうちどんどん消えていくのだが、だれしもかならずひとつくらいはどうしても消えない疑問というのが残るらしい。その疑問というのが働くこと、もしくはそこにいることのの意味である。というもの。なかなか含蓄のあるお言葉。卒業後しばらく続けていたのだが、実際やっていき、しばらく慣れてくるとある時点で気づく。難しいのは出てくる疑問を消す、ことではなく消せない命題を探すということ。現時点見いだせているだろうか。

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